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僕らの価値は、いずれ消滅へと向かっていく。

僕らの価値は、いずれ消滅へと向かっていく。
気づかぬ間に、声もなく、音もなく。

僕らの価値は、目に見えぬ形で出現する。
それは蝉を捕まえて喜ぶ少年の心だったり、目と目が合っただけでドキリと揺れてしまう初心な恋心であったり、変声期の前の透き通った少年の声であったり。

僕らの価値は、宝石にも劣らない輝きを持ち、様々な可能性の光を反射させているのにも関わらず、当の本人はそれに気づくことが出来ない。
なんて厄介なのだろうか。

ある日、僕は友人から一冊の本を借りた。
『少年ノート』というタイトルの漫画だ。

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主人公の蒼井 由多香は、歌が大好きな天真爛漫な少年であり、そして天性の声質をもつボーイソプラノであった。
転校先の河海東中学校の合唱部の歌声に聞き惚れ入部し、先輩と同期とともに、コンクールでの金賞を目指すことになる。

僕はふと、中学生の頃を思い返した。
僕はあの時、どんな声をしていただろうか。

大人になった僕の声は、低く響く声だ。
最初からそうだったわけじゃない。
僕にだって、軽やかに弾んだ声の時期があったはずなのだ。
だが、もうその時のきらきらとした記憶を鮮明に思い出すことは出来ない。

主人公である蒼井 由多香は繊細で透き通る天性の歌声を持ちながら、その反面、様々な日常の音に悩まされてしまうHSP(Highly Sensitive Person:環境・感覚処理感受性)の持ち主でもある。

日常に聞こえる、車の音、風の音、鳴き声、笑い声、そして人の声。
音の感情を繊細に感じる由多香は、生きる指針を良くも悪くもその音に翻弄されてしまう。
彼はそんな数多の音が響く世界に漂いながら、悩み、閉じこもり、涙ぐみ、叫び、考え、そして一歩ずつ成長していく。
それはたった一人ではなく、支えあう友人がいるからこそである。

真剣に自分の心に迷える、そんな時間は子供だけに与えられた特権だ。

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僕らの価値は、いずれ消滅へと向かっていく。
友人の大切さを感じる心も、小さな出来事に一喜一憂する多感さも、素直な言葉を口にできる純粋さも、人の笑顔を愛せる優しさも。
僕らの美しすぎる価値は、大人になるにつれ色褪せていき、気づけば灰色の花束へと変わってしまう。

価値が消えていくにつれ、僕らは大人になってく。
優しさと痛みを繰り返していくうちに、いつの間にかそれらを遠ざけようと、悩むことを捨てていった。
純粋さが、時に利用されることを知った。

誰かに優しくしてもらえば卑屈になり、損をしたくないと建前を作る。
純粋さは、自分の開けた孔から少しづつ漏れだしていき、心の中に溜まっているのは、油のようにドロリとした黒い濁りだけであった。

もうあの頃へは、もう戻れない。
桜吹雪の妖精と手を取り踊ったあの時へ。
茹だる暑さに、垂れるアイスを頬張りながら笑ったあの時へ。
燃える紅葉の躍動を残すかのように、栞を作ったあの時へ。
粉雪に戯れ、白銀の世界に驚嘆したあの時へ。

今を生きる子供たちへ。
世界は果てしなく広い。
僕たちの生きる箱の中が、世界の全てではないのだ。
その無限大たる価値の中に秘められた可能性は、境界線までもを吹き飛ばし、壮大なる宇宙だって作りだせる。
だからこそ、真剣に悩み、迷い、叫び、そして出会い、笑い、成長していって欲しいと願っている。

今を生きる大人たちへ。
僕たちの眩しすぎる価値は、すでに消滅してしまったかもしれない。
それでも、傷つくことを恐れず、優しさを躊躇わないで欲しい。
痛みを知ったトラウマもあることだろう。
優しさを裏切られた苦しみもあることだろう。
だからこそ、僕ら大人は人を愛せるのだと誇ってほしい。
その誇りを胸に、子供たちの眩しさを包める優しさを持って欲しいと願っている。

僕らの価値は、いずれ消滅へと向かっていく。
それは誰にでも起こりうる、悲劇なのかもしれない。
それでも、それに悲観することなく、「今」を存分に感じ、白い翼で自由に羽ばたいて欲しい。
そして、その透き通る歌声を持って、在りのままの心で、感情を高らかに讃美歌を奏でてほしいと僕は願っている。

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静 霧一/小説
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