表象文化研究概論の感想
1945年8月、原子爆弾が投下された。それから75年後のことである。その日、表象文化研究概論では、原爆の表象についての授業がなされていた。まさに猿山と呼ぶべき420教室に僕はいた。
講師はしどろもどろ、つっかえながら話していたが、その熱量や想いのようなものは伝わる。レジュメの内容の濃さも、ただ原爆を戦争を批判するだけではない。
「あーし、この授業3回休んで2回途中で帰ったんよね」
左後ろから高周波不協和騒音が聞こえたので、僕は反射的に自らの2本の指で鼓膜を破った。精神が汚染されるよりかはいくぶんかこの方がよいのだ。血が少し出た。
そのせいで、それからの講義はまったく聞こえなかった。消音のテレビだ。
右では、見るからに頭の中に空洞を所有しているような男が、突然思い立ち誰にも取られまいとするかのように弁当を食べだした。仕方がないので鼻を潰した。クリリンがそうであるように、こういうことはよくあることなのかもしれない。
それからすぐ、遅れてきた男女グループが扉を大袈裟に開け放って入ってきた。まるで、プロレスラーの登場、さながら遅れてきたヒーローを彷彿とさせた。彼らは顔に実際に「馬鹿」と書いてあり、豚のような歩き方だった。そして彼らは私の一列前の席を占拠し忙しなく蠢き始めた。おそらく出席カードを探す者、席に着くや否や爆睡する者、乳繰りあっている者、YouTubeを開く者、メッセージを打つのに熱中し画面から一時も目を離さない者。
彼らはこの授業が何の授業であるのかもわかっていない。
『敗戦国の末裔!』
僕は叫ぼうとしたが、瞬間的精神的ストレスで声帯が潰れたので声は出なかった。代わりに、小さく少し吐いた。
視力が邪魔だった。この地獄を見なくてすめばどれほどいいか。手元にあったボールペンを2本握って、思いっきり頭を振って、ちょうどその上に落とした。
真っ白な闇の中で、僕は、いまここに原爆が落ちてくれたらなあ、と思うのだった。
追伸:「ここに原爆が落ちてくれたらなあ」というのは本心ではない。このような人間のクズが大学生という皮をかぶって学問を、とりわけ文学を広島を長崎を侮辱していることを私自身のこの眼で見、このクズどもをどうするかと考えたとき、やはり原爆は何度も落とされなければならないのか(歴史は繰り返されるのか、人間は学習しない!)、と思い、絶望した。というのが正しいかもしれない。ともかく、東京私立文系某大学の学生はゴミクズであり、それを生み出しているのが日本の教育の実態なのだ。