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わたしもあなたも、みんなそうかも

本日2月22日はピンクシャツデー(いじめ反対の日)です。

ネット社会を見ると、多くの人々がいじめられた経験を持っているように思えます。かくいう私もいじめられた一人で、未だに当時受けた古傷の影響に苦しめられています。

「いじめ」と聞くと、反射的に「いじめは良くない!」と言ってしまうものですよね。もちろんそれは当たり前であり、声を挙げて叫び続けなければならないものです。
しかし私は思いました。「みんなどこかの場で、無意識に加害者になっているんじゃないか?」と。
いじめの体験談は被害者発信がメインです。加害者発信は聞いたことがありません。きっと忘れているのか、忘れていないにしても公にするにはリスクが高すぎるからなのでしょう。仮に今この場でいじめをした事実を告白したら…私刑ネットリンチに飽き足らず社会的制裁を受けることになりますから、それもそれで違うような気がするのです。

嫌なものが視界に映ると物理的に消したくなる衝動に駆られますよね。その衝動に従った結果いじめが発生するのではないかと最近思うようになりました。
今現在を含めた「人間的に理不尽な扱いをされた経験」を振り返って見ると、加害者側は総じて「虹倉は価値観的に許せない存在」として扱っていたように感じました。全員共通しているのは思うように操ろうとしていること―つまり、マインドコントロールを行えば「邪魔なもの」はいつか消えて無くなるという算段なんですね。私そのものを消すことはできませんから、せめてコアの部分を精神物理的に壊して再構築すればあとはどうとでもなるわけです。

…これ、誰にでも当てはまることですよね?みんな気づいていないだけで、無意識にやっちゃっている人結構多いと思いますよ。

お恥ずかしい話、私もそういう経験をしたことがあります。重箱の隅をつつくことを書いたのもこれが理由です。
やっていることが同じだったり目指しているものが似たりよったりすると人の距離って近くなりますよね。そうすると、どうしても見たくない部分が出てしまいます。
目を瞑っておけば良いものの、結局は仲間や同士を求めてしまうからそれなりの強要を相手に欲してしまうわけで。他人に対して過度な期待をするがあまり狂気に身を任せたらあっという間に精神が疲弊してしまいますから。インスタントメンヘラもいいところです。

私は心がみみっちいので、信頼と同時に期待を持ってしまいます。それが原因で何度も痛い目に遭ってきました。よせば良いのに、傷の血をインクに変えたこともあります。それでまた血が流れました。

「罪を告白して罰を受けまくれ」とは言いません。今の時代、そうしたらそうしたでまた新たな「いじめ」が出てくるのは容易に想像がつきます。
人間はそういう本能を持っていて時に暴走することがあるということを頭の片隅に入れて欲しいのです。
ですが、それを刃に傷つけるのはアウト。他人はもちろんそうですが、自分自身に対してもダメ。許さなくていいですから、その分あなたが幸せになればいいと思います。

終わらせるために続けていても逆効果ですしね。偉そうに書いている私自身ができるかどうか…気づいただけでも良いことにしておきます。

できてなかったとしても、それをネタにアンチしないでくださいね!
批判と非難は全く違いますからね!!

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