身体はトラウマを記憶する~幼稚園バスのトラウマ体験が『今』に及ぼしてきた驚愕の影響~
よく言うトラウマ。
誰にだって、トラウマのひとつやふたつあるだろう。
だけど、これの厄介なところは、体験したのが幼ければ幼いほど、傷が深ければ深いほど、無意識に潜んでしまい、なかなか『記憶』としては思い出せないのに、強烈に『今』に影響を与え続けてしまうこと。
そして、トラウマになる体験は、大人の自分が考えると、「まさか」と思うような"ささいな''ことだったり、もう、忘れ去って思い出せないことだったりする。
残念ながら、そのパターンは本人が意識する、しない関係なく、トラウマ体験を『トラウマ』として認識して、癒せるときまで続く。。。ということを、改めて実感している今日この頃。
朝にやってくる強烈な身体の反応
まったく、自分の実生活とは関係なく、いまだに私を襲う感覚がある。
それは、朝、布団でまどろむときに起こることが多い。
少し前まではあったかいなぁ、ポカポカだなぁと布団の中で幸せを感じていたのに、突然、強烈な恐れや不安がやってきて、身動きがとれなくなるのだ。
自分ではどうすることもできない胸の動悸。締め付け。恐怖感。
圧迫。耳がキーンとなる感覚。
誰かに強く押さえ付けられるような感覚。
身体で精一杯抵抗してるのに、自分ではどうしようもできない感じ。
パニック。罪悪感。絶望感。消えてなくなりたい感じ。
それがやってくると、なかなか朝が起きられない。
今の私は、とっても幸せで充実してるはずなのに、その感覚とのギャップの大きさに途方に暮れ、放心してしまう。
朝、パニックになる自分が意味不明で、そんな自分を否定し、受け入れることができず、ずっと葛藤してきた。
セラピーを受けるようになって、その状態が複雑性PTSDの症状、フラッシュバックなのだと、初めて理解できた。
複雑性PTSD(ふくざつせいピーティエスディ、Complex post-traumatic stress disorder、C-PTSD)とは、組織的暴力、家庭内殴打や児童虐待など長期反復的なトラウマ体験の後にしばしば見られる、感情などの調整困難を伴う心的外傷後ストレス障害(PTSD)である。 ~ウィキペディアより~
『身体はトラウマを記憶する』と言われるけど、「まさに・・・・」だ。
私の意識では、すっかり忘れていても、身体にその記憶が強烈に刻まれていて、何かのきっかけで、すぐに当時の感覚に戻されてしまう。
私の朝のパニック症状は、トラウマに対する自動反応だったのだ・・・と理解できたとき、ようやく胸に息が入るようになったのを覚えている。
セルフセラピーを重ねてきて、少しずつこの症状が和らぎ、やってくる頻度も減っている。
だけど、この強烈な症状を引き起こすトラウマ体験がどこからやってきたのかは、ずっとわからずにいた。
幼稚園バスでのトラウマ
それが、一か月ほど前、ようやくその元にある記憶とつながった。
幼稚園入りたての3歳の頃の記憶。
3歳の私は、なぜ私が「幼稚園」という場所に連れて行かれるか、全く理解できず、混乱していた。
年子の妹は家にいられるのに、私だけ外に出されるのはなんで????
家から離れたくなくて、必死で抵抗したけど、無理やり幼稚園バスに乗せられ、幼稚園に行かされた。
幼稚園バスでも何度も何度も、逃げようと、バス停に止まる度に脱走を試みたけど、無駄だった。
幼稚園でもスキを狙って脱走をしようとしたけど、つかまって戻された。
当時の小さな私にとって、幼稚園はまるで「牢獄」のように感じていたことも思い出した。
不安で不安でしかたなくて、ずっと先生に抱っこされていた。
あまりにも惨めで、幼い私にはどうにも対処できず、「これは、いい子じゃない自分への罰なんだ・・・。これからは、いい子で生きるしかないんだ」とあきらめ、決意したことも思い出した。
家族の中では、そのエピソードは、「ゆみこは幼稚園を脱走しようとした、つわものだ」「幼稚園バスからも降りようとした」という笑い話と一種の武勇伝のように語られてきた。
私自身の記憶としてはあまりよく覚えていなかったけど、そんな風に家族の中でこのエピソードがもちあがってくるとき、何だか誇らしいような、嬉しいような気さえしていた。
それなのに、この出来事が、当時の私を深く深く傷つけ、自分の『今』にこんなにも影響していたことをついこの間、ようやく理解できて、本当にびっくりした。
思い返すと、私はこどもが4人いるのに、何かと正当な理由をつけて一人として幼稚園バスを利用してきていない。
まったく無意識で「幼稚園バス」というトラウマ状況を避けていたのだな。。。と今更ながら、心の防衛のしくみのすごさに驚いている。
この傷を意識できないほど、深い無意識に閉じ込めていたみたい。
大人の私は、取るに足らない、ほほえましいエピソードだと思っていたのにね。
だけど、よくよく繊細に感じてみると、朝のパニック状態はまさに、このときのものだ。
驚愕!!!!!
息子の引きこもり・次女の登園渋りと私のトラウマとのリンク
年明けしばらくしてから、息子が引きこもり気味になった。
ゲームとの付き合い方を変えたっていうのが大きな引き金になってる気がするけど、思春期に差し掛かった息子が、これまで親子でやり残した課題を見せてくれてるのだとも思った。
息子が家にいるようになって、次女にも変化が。
お友達もいっぱいできて、幼稚園の先生とも信頼関係を築いてきて、幼稚園に慣れてきたな・・・と感じてきたのに、急に「ママと離れたくない」って激しく登園渋りするようになった。
家族ってほんとうにつながってるんだな、影響しあってるんだな・・・と息子と次女をみて感じた。
3年前にハートエデュケーションで心の学びをしてから、順調に家族関係の改善を実感していただけに、正直、ショックだった。
また、振り出しに戻っちゃったの!?いや、悪化したようにも思える・・・・って。
だけど、人の成長のプロセスってらせん状のように、何度も何度も同じところに戻ってくるものらしい。
「今が最終型ではなく、プロセスに過ぎないのだ」と気づいて、今、しっかりと親子、夫婦で腰をすえて向き合うタイミングがやってきたんだとも感じている。
そんな中、ふと、この自分の幼稚園時代のトラウマに気づくことができ、少しずつ傷ついた内なるチャイルドを保護しケアすることを意識してきた。
私のあのときのトラウマ体験が、息子や次女の対人不安にも影響してるのかも・・・って直観した。
コツコツと自分のケア・こどもたちのケア・夫婦の話し合い、周りとの話し合い、環境の調整などなどしてきてみたら、少しずつ、息子は元気になってきて、外にも出られるように。
次女は、本当にびっくりするのだけど、私の内面が整うことで、また、幼稚園を楽しむようになった。
あの激しい登園渋りから、あまり経っていないのに。。。
実は、私が引きこもりたかった!?
この驚愕の事実に、ほんの数日前に行きついた。
息子が家にいることが多くなって、私は息子の行動ひとつひとつが気になり、口出ししたくなる衝動にかられた。
息子へのコントロール・過干渉・・・。
その後は、過干渉してしまったことへの罪悪感。
これ、私の最近のお決まりパターン。
コントロール・過干渉は、自動反応。
息子と関わろうとすると、これになってしまう。
それで、そうしてしまう自分を責め、罪悪感で覆っていく。
私の原家族も過干渉だった。
そう考えると、私にとって、「親子の関わり」=「過干渉」。それ以外に持っている”コマ”は「放任」。
機能不全家族で育った私にとって、この両極端の2つの選択肢しかなかったのかもしれない。
だから、「なんで、私にはできないの?」「なんで、もっと待ってあげられないの?」って責めることではなく、その傷をちゃんと認めて、見ていくことが必要だったんだな。
できないのは当たり前。
その関わり方しか知らなかったよね。過干渉な関わりが愛だと勘違いしてきたんだよね。
コントロールすることは「愛」じゃなくて、それは「痛み」なんだよ。
これからはお互いに「心地よい関わり」っていうのを、模索していこうね。
時間をかけて大丈夫だよ。
そんな風に声をかけると、大きく大きくなってたコントロールのエネルギーがスーッと引いてく感覚。
おぉ、これはまさに、肥大化した母性のエネルギーだ。
原家族に蔓延してた肥大化した母性のエネルギーを、愛だと勘違いしてるチャイルドがいたんだ。
大きく大きくなって、家族を守らなきゃならなかったという家族代々引き継がれてきた背景。
そこ、まだまだ色濃く私にも残ってたんだなぁ。
それから、引きこもる息子が今、私に見せてくれてるものは何だろ?って感じてみると、私自身にも「引きこもりたい」チャイルドがいることを発見。
私は、小さな頃、引きこもることが許されない環境だったから、引きこもらなかっただけで、もし、息子みたいに引きこもることを許される環境だったら、引きこもってた・・・・ということに気がついた。
そうだ、私が引きこもりたかったんだ!!!!
それは、幼い私ができる、大人たちの過干渉に対する無言の、最大の抵抗だった。
あのとき、行動では引きこもれなかったけど、心では引きこもることを決めたんだった!!!!!
あぁ、息子は私が3歳の頃、満たせなかった想いを表現してくれてるだけなのかもしれない・・・。
誰も大人が守ってくれなかったから、そうやって、心を閉ざし精神的に引きこもることで自分を守るしかなかった、3歳の私。
あーーーー、頑張ってきたな。ゆみちゃん。
同時に、引きこもっちゃいけない!!!!!って、自分を責めて、辱しめて、叱咤激励して無理やり引っ張り出そうとしてたアダルトもいることに気づく。(これは、原家族のやり方)
引きこもっていたいチャイルドと、引きこもることを許せないチャイルドの葛藤。
鬩ぎ合い。
まさに、今、息子と私の間で起こってたことだ。
あぁ、そりゃつらいよなぁ。
だれも、保護できる大人がいない状態だ・・・。
幼稚園に行きたくなくて怯えるチャイルドに伝えてみる。
安心だって思えるまで、引きこもってていいよ。
誰にも保護されず、それで外に出るのは、ほんとにほんとに痛いことだったよね。
よく頑張ってきたね。
誰にも理解してもらえず、ゆみちゃんにとって、残念なことが起こってきたね。
でも、それはゆみちゃんのせいじゃないんだよ。
外に出たいと思えるまで、ここにいていいよ。
ママ、ゆみちゃんと一緒にいるよ。
不安なままで外に引っ張り出されたら、すごくこわいよね。
そりゃ、パニックにもなるよー。
それで、さらに大人たちにそれを笑われたら、それはボロボロに傷つくし、ますます、外に出られなくなるよね。
ママ、ゆみちゃんの不安に気がつかなくてごめんね。
これから、ゆみちゃんの不安、ひとつひとつ一緒に解消していこう。
ママはこれからもずっとゆみちゃんをケアして、ゆみちゃんが安心して外に出られるように、思いつくアイディアを出して、どうしたらいいか一緒に考えるよ。ゆみちゃんに伴走していくよ。
ゆみちゃんをもうひとりぼっちにはしないから、安心してね。
ゆみちゃんは、そのままで大丈夫だよ。
深い深いところに、その言葉たちが浸透して、響いてく感じ。
たくさん発見した傷ついたチャイルドたち。
丁寧に、繊細に寄り添っていこう。
同時に、息子のプロセスも見守っていこう。
☆もし、自分にトラウマがあるかも・・・と感じたら、このセラピーを継続することがおすすめです。