見出し画像

働き方の進化論――「終身雇用」から「自由なキャリア」へ

私たちの働き方は、ここ数十年で驚くほど変化しました。一昔前、「会社に忠誠を誓い、一つの職場で定年まで勤め上げる」ことが美徳とされていた時代がありました。それが今やどうでしょう。リモートワーク、フリーランス、複業――こんな言葉が当たり前に使われ、働き方は多様性を増しています。

今回は、昔と今の働き方の変化に注目しながら、その背景や現代の働き方がもたらす可能性について考えてみたいと思います。

無料で読める最新記事はこちらから👇🐰

バージョンアップ理論はこちら👇




 夜のビル街を歩くユキは、肩の力を抜くように深呼吸をする。今日はいつもより少し早く会社を出られた。社会人2年目となった彼女の生活は、慌ただしくも充実しているけれど、ちょっと心がざわつくことがあった。
 「私、これからずっとこの会社で働くのかな……?」
 ふと浮かんだその疑問を振り払うように、アパートのドアを開けると、リビングのソファには長い耳を持つ不思議な“人型ウサギ”がどっしり座っていた。彼こそがうさぎ先生――かつては大学教授として活躍しながら、ある闇の組織の手でウサギの姿に変えられてしまったマーケティングと行動経済学の達人だ。ユキが秘密裏に保護し、同居している。

 「おかえり、ユキくん。ずいぶんと難しい顔をしているようだが、何かあったのか?」
 先生の穏やかな声に、ユキは思わず顔をほころばせる。ここに帰ってくると心が落ち着くのは、ウサギ姿だが頼りになる“先生”がいるからに違いない。
 「ただいま、先生。実はちょっと気になることがあって……最近、会社でも“終身雇用なんてもう崩壊してる”とか“副業していい時代だ”とか、いろんな話を聞くんです。私も将来、ずっと今の会社にいるのかなって考えると、なんだか不安と期待が半分ずつで……」

 先生はフフッと笑みを浮かべる。「なるほど。昔は“会社に入り、定年まで勤め上げる”のが当たり前だったが、今は“自由なキャリア”が当たり前になってきたというわけだな。そこの変化に興味があるのか?」
 ユキは大きく頷く。「はい、そうなんです。昔は転職なんて考えられなかったってよく聞くし、でも今はリモートワークとかフリーランスとかも当たり前で……本当にいろんな働き方があるんだなって。先生、昔と今の働き方がどう変わってきたのか教えてください!」
 先生は「よかろう」と軽く頷き、「じゃあ今夜は、昔の“終身雇用”と現代の“自由なキャリア”の進化について、一緒に考えてみるか」とソファからゆっくり立ち上がる。
 こうして、ユキの疑問に応えるための“夜な夜なの講義”が始まるのだった。



第1章:終身雇用と年功序列――会社は“第二の家族”だった時代

■ 会社と個人の境界線が曖昧だった頃

 ユキはキッチンでお茶を淹れ、二人分の湯呑をテーブルに置く。うさぎ先生はそのうちの一つを手に取り、一口飲んでから静かに口を開く。
 「まず、昭和30~40年代の日本。高度経済成長期真っ只中で、企業は膨大な労働力を求めていた。そこで主流となったのが“終身雇用”と“年功序列”だ。つまり、『新卒で入社して定年まで勤め上げることが美徳』とされていたんだよ」
 ユキは「終身雇用って、会社と“結婚”みたいなイメージだって聞いたことがあります……」と頷く。先生は「そうだね」と続ける。

 「“会社は第二の家族”とも言われていてね。社員旅行や運動会、飲み会、あらゆる行事が会社を中心にして行われる。上司や先輩は親兄弟のように面倒を見てくれるし、社員同士も家族のように密接だった。田中さん(仮名)みたいに20歳で入社して60歳で定年まで働くのが当たり前。転職するなんて“根性がない”とか“どこへ行っても通用しないやつ”なんて言われたりして……」
 ユキは「ああ、その時代のドラマとか映画でよく見ます! 会社に尽くすのが当たり前、出世して家族を養う、みたいな。じゃあ転職なんて滅多にない?」と聞く。先生は「そう、ほとんどない。むしろ“転職=社会的に疑われる行為”ですらあったんだ」と言う。

■ 安定の裏側にあったプレッシャー

 「でも、ある意味安定してて安心そうですよね。定年まで勤め上げれば退職金もあるし、年功序列で給料も上がるし……」とユキが言うと、先生は「たしかにそうだ」と頷く。
 「昭和の戦後復興から高度成長期にかけて、人々は“安定した生活”を強く求めていた。企業も労働者を長期間雇用することで“終身雇用”を維持し、社員は会社に忠誠を尽くす。これで日本全体が経済成長を支えてきたんだ。だけど、その安定が裏返しでプレッシャーでもあった」
 ユキは「プレッシャー?」と首をかしげる。先生は続ける。

 「たとえば40代で大きなミスをしてしまった田中さんがいたとする。会社は家族のように面倒を見てくれる一方で、失敗したらもう居場所がなくなるケースもあった。会社にとって『役に立たない社員』はリストラこそされなくても、周囲の冷たい目線に晒されて肩身が狭くなる。定年まで働き続けること自体が前提だからこそ、『辞める=裏切り』みたいな風潮もあったわけだね」
 ユキは「ああ……そうか。会社は家族みたいっていうのは温かい反面、“抜け出せない”っていう面もあるんですね。みんなが同じ方向を見てるがゆえに『私やめます』が言えない……」と納得する。

■ “自分らしさ”を追求しにくい時代

 「しかも転職がタブー視されていたから、“別の仕事に挑戦したい”とか“クリエイティブなことをやりたい”という思いを抱いても、行動に移すのは相当なリスクだった。周りからも“なんでわざわざ安定捨てるの?”と否定されるし、何より転職先も限られている。中途採用なんて少なかったしね……」
 ユキは「そうか……今みたいに“キャリアアップ”で転職するって概念自体が薄かったんですね。確かに私の両親も、ほぼ同じ職場にずっと勤めてます。転職する人を見ると『大丈夫なの?』みたいな目で見てた気がします」と言う。先生は「そうさ。昭和の頃ならもっと強い風当たりがあった。佐藤さん(仮名)が大手企業を辞めたとき、周囲から『もったいない』とめちゃくちゃ言われたって話は有名なエピソードだよ」と続ける。

 「そうやって会社に依存する働き方も、当時の日本の社会にはマッチしていた。企業が成長を続ける限りはWin-Winだったんだ。だけど、バブル崩壊や経済の変動、グローバル化が進むうちに、“終身雇用”や“年功序列”が維持しにくくなっていく。現代に至るまでの転換点は、そこにあるんだよ」と先生は語る。
 ユキは茶をすすりながら、「先生、そういう背景があったんですね。じゃあ今、私たちが“自由な働き方”って言ってるのは、昔の日本だと相当な異端だったのかも……」と興味深くうなずく。


ここから先は

9,290字 / 5画像
この記事のみ ¥ 180
PayPay
PayPayで支払うと抽選でお得

最新記事を無料で提供していく為にも支援頂けますと幸いです。頂いた支援は資料や宣伝などクリエイターとしての活動費として使わせていただきます!