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虐待を受けた子が大人になるとどうなるのか? 『ルポ虐待サバイバー』を読みました
概要
生活保護支援の現場で働いていた著者は、なぜか従来の福祉支援や治療が効果を発揮しにくい人たちが存在することに気づく。
重い精神疾患、社会的孤立、治らないうつ病…。
彼ら・彼女らに接し続けた結果、明らかになったのは根底にある幼児期の虐待経験だった。
虐待によって受けた”心の傷”が、その後も被害者たちの人生を呪い続けていたのだ。
「虐待サバイバー」たちの生きづらさの背景には何があるのか。
彼ら・彼女らにとって、真の回復とは何か。
そして、我々の社会が見落としているものの正体とは?
第18回開高健ノンフィクション賞の最終選考会で議論を呼んだ衝撃のルポルタージュ、待望の新書化!
読書感想文
この本では、虐待された過去を持つ大人が、生活保護受給者に多い事実を記しています。かくいう私も、複雑性PTSDになって生活保護をもらうようになりました。なので、私みたいな人が日本にはたくさん居るのだと思います。
このルポルタージュが示すとおり、被虐待児は世渡りの方法がわからないので、人付き合いが上手くいきません。
凄惨な家庭環境で育った人は、現代社会に適合できない。
この事実を啓蒙してくれるだけでも、この本には価値があると思います。
彼らには、幼少期に児童相談所や子ども家庭支援センターの介入があった。が、介入されたがゆえに虐待や家庭環境が悪化したと思われる様子が散見された
(中略)
次に考えたのは、支援者・専門家・治療者の理解力に問題があるという説明だった。経験不足、勉強不足などで、虐待する側・受けた側の心理を誤って理解している
支援者が被虐待児の精神疾患について勉強不足なのは、事実だと思います。実際、私は就労移行支援事業所を利用しましたが、支援者は複雑性PTSDの存在すら知らず、発達障害だと言ってくる始末でした。
ちなみにこれは誤解で、被虐待児には発達障害や自閉症に似た傾向が現れますが、厳密には違います。詳しくは下の記事で説明しています。
私の治療者である主治医が良き理解者で、専門的知識を持っていたのは幸いでした。しかし、相談員や保健師は複雑性PTSDの存在を知らず、こちらからこの障害が何なのかを説明する必要がありました。
ちなみに、そのとき参考にした本はこちらです。
さて、『ルポ虐待サバイバー』の話に戻ります。
この著者もまだまだ勉強不足だと思いました。
なぜそう思ったかというと、被虐待者の精神疾患について大きく取り上げられているのが、『解離性障害、パニック障害、燃え尽き症候群』の3つだったからです。
虐待サバイバーについてルポルタージュを書くなら、複雑性PTSDのことも深掘りすべきだと思いました。
それはさておき、ここからは被虐待児が大人になるとどうなるのか、解説します。
旧・児童福祉法が定義する「児童」から外れるのが、18歳です。それまでは児童養護施設などに居たとしても、この歳になると、原則として施設を出なければなりません。
これは、『自立支援の治療が完全に出来ていなかったとしても』です。この件については下の本でも解説しました。
18歳になって施設を出たあと、路頭に迷った少年が施設で殺人事件を起こした実話です。
ちなみに、現在は18歳の上限が撤廃されましたが、改正以前に利用していて、18歳になって施設を出ることになった人は、社会でやっていくのに困っていると思います。
「児童」ではなく「大人」と呼ばれるようになった被虐待者がどうなるかと言えば、日雇いなど単発バイトで食いつなぐか、生活保護か、犯罪者か。大きく分けてこの三択になります。
長期雇用は無理とは言いきれませんが、とても難しいです。なぜなら、社会不適合者になっている可能性が高いからです。
社会に出たあともフラッシュバックに苦しみ、PTSDが重症化した場合、引きこもりになってしまう場合も少なくありません。
この本の良いところも挙げておくと、『虐待を受けた人とそうでない人で世界観が違う』と説明してくれているところです。
学校だと、よく分からない言動をする問題児は、知的障害や発達障害だと見なされるようです。しかし実際は、被虐待児だったため人との付き合い方を知らなかっただけ、という事例が紹介されています。
児童虐待を無くしたい、子どもたちを救いたいと思うのならば、被虐待児の「声にならない声」を聞かなければなりません。
彼らはなんでこんなにも変な言動をするのか、学校を休みがちなのはなぜか、髪や服が不潔なのはどうしてだろう。そうやって子どもたちを見て、虐待されていないかを意識的に観察する姿勢が、大人たちに求められています。
彼らは自分から「虐待されてるから助けて」とは言えません。大人が虐待の事実に気づき、救済する必要があるのです。