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健やかなるときも病めるときも

今日は起きた時からずっと辛かった。ほぼ何もできず、就活のESの締切を確認して予定表に組み込んだり、さまざまな企業の就活ページにログインするために登録したりする単純作業しかできなかった。無論塾はサボった。私は駄目駄目だ。早く楽になりたい、ただその思いでずっとついったーで練炭について調べていた。無論この暑い夏に練炭などないのだが。そうこうしているうちに夕飯の時間になり、食欲はなかったけれど無理矢理サラダと魚を食べた。そしてまたついったーに戻ろうとしたら、ふと棚のスケブが気になった。何気なく一冊取り出して、眺めてみる。そこにはたくさんの過去の私の作品があった。ああ、私にはこの子たちがいる。そう思った。

創作は何も語らない。推しカプも、黒羊も、真宵も、みんな実在しない。でも、みんな、どんなに辛い時も、死を覚悟して暗澹たる気持ちでネットサーフィンしているときも、それこそ健やかなる時も病める時もずっと、ずっとそばにいてくれるのだ。

創作は私の命綱で、積み上げたスケブたちが私を明るい方へ手を引いてくれる。今更、そんなことに気がついた。



こんなことを書けば、独りよがりの現実逃避だと思われるかもしれない。でも、それでいい。側から見たら単なる現実逃避でも、私にとっては命綱なのだから。私が死ねば、この子たちは、未だ形に出来ていない創作たちはどうなるのだ。そう思うと、まだまだ死ねない。ありがとう、創作たち。ありがとう、これを描いてくれた過去の自分。


これを読んでくださった方、ぜひ煮ル果実さんの「アイロニーナ」を聴いてください。私の伝えたいことが詰まっています。それではまた明日。

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