「毎日が幸せの連続だと、その毎日は本当に幸せなのか?」~菊池寛さん(小説家)の「極楽」という話から
大正時代から昭和のはじめごろに活躍した小説家に菊池寛さんがいます。
芥川賞や直木賞を創設した人です。
「父帰る」「恩讐の彼方に」「形」などの作品で有名ですが、中に「極楽」という不思議なお話も残しています。
正直言って、初めに読んだ時は???
何を言いたいのか、分かりませんでした。。
というのは、この「極楽」という話は次のような内容だったからです。
主人公は「おかん」という「近江屋」の女将で、時は江戸時代後期。
66歳を迎えたある日、脳卒中で安らかにあの世に旅立ちます。
生きている間に、信心深い生活をしていたおかげか、無事極楽へ行き、先に旅立った夫である宗兵衛と涙の、感動の再会を果たします。
極楽では、何不自由なく暮らせ、時間もたっぷりとあります。
再会を果たしたおかんは、宗兵衛に先立たれてからの一部始終を何日も、何日も話して聞かせます。商売の事、初孫の事、親戚や知人の近況・・・。
くわしく、細かく話をしても、時間はたっぷりあります。
やがて、話も尽きてくると、極楽の風景を楽しみます。
でも、それも長くは続きませんでした。極楽では、どこを見てもきれいで美しい景色ばかりだったからです。ある意味、退屈になったのでしょう。
おかんは、宗兵衛に言います。
「いつまでここに座っているんですか?」
「いつまでもじゃ」と宗兵衛。
それから5年ほどたって、また、おかんは言います。
「いつまでここに座っているのですか?時が来たら別の所に行けるのではないですか?」
「いつまでもじゃ。極楽よりいいところが他にあるか」と宗兵衛。
こんなやりとりを繰り返し、50年という時が流れても、やはり、同じ質問と同じ答えを繰り返す・・・・。
おかんは、「極楽」生活に物足りなさを感じていく…。
こんな話です。
宗教の世界で、天国や極楽について語られ、特定の宗教を信じていなくても、何となく「善いことをしていたら死後、極楽(天国)へ行き、悪いことをしたら地獄へ行く」という話になじみがあり、無意識にそれを信じているようなところがあります。
私は極楽や天国はいいところと言うイメージで止まっていましたが、では、行ったその先に何があるのか?行った先での「暮らし」はどうなるか、なんて考えもしませんでした。
この菊池さんの「極楽」を読むと、
「毎日が幸せの連続だと、その毎日は本当に幸せなのか?」
という疑問すら出てきます。
そういえば、待ちに待った定年退職を迎え、その後、なかなかできなかったゴルフを毎日するぞと語っていた方が、1年もすると、「もうゴルフはいいわ・・」といった話を耳にしました。
これも、極楽の話に通じるものがあると思いました。
そして、スピリチュアルの世界、スピリチュアルリーダーがよく語られる
・魂は、「あの世」から「この世」に遊びに来た
・あの世で経験できないことを、この世で経験してみたかった
・すぐに願いが叶うとつまらないから、この世では「時間」がかかるように設定されている。
・魂は、あの世で、この世のシナリオ(この世で経験したいこと)をかいて、生まれてくる。そして、その時の記憶を消して生まれてくる(記憶があると楽しめないから)
という話やあるメンターが言われた、「魂の成長」「魂の幅を広げること」がこの世の目的だという話が何となく、すっと心に入ってきました。
もちろん、私は凡人で、どこまでが本当なのか、全くの空想なのか分かりませんが、
「毎日が幸せの連続だと、その毎日は本当に幸せなのか?」
「毎日が幸せ」だと逆に不幸とは言わないまでも、「退屈」ではないか?
ということは何となくわかりました。そして、
トラブル、失敗、悩み、病気、思うようにいかないというのは、ある意味、「しあわせなこと」なのではないか?
(あの世で経験できないからこそ)さまざまな経験ができるという意味では、「不幸な」経験も、プラスのことではないか?
と思えたら、この世で経験する、特に「ネガティブなこと」に対して、距離をとって、少しは落ち着いて対処できるかなと思いました。
人によっては、「感謝」できるのかもしれません。
みなさんは、いかがでしょうか?
ここまで読んでいただき、ありがとうございます
皆様の心にのこる一言・学びがあれば幸いです