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気付きの向こう側~薄味を感じる力、綺麗なトイレから汚れを見つける力から     

先日、掃除の会の仲間に声をかけてもらい、神社の掃除とる社会復帰支援施設(療養所?)に行ったことを記事にしました。

 約3週間を経過しましたが、ちょっとした新たな気づきも生まれてきました。
 
  施設での夕食では、先生の健康や食材のお話を聴きながら無農薬野菜をふんだんに使った料理を頂きました。どの材料もその園内の自然豊かな土で育てられた野菜でつくられていました。卵は、そこにいる合鴨さんが生んでくれたものでした。納豆も、自家製のものでした。

 はじめこそ、普段食べなれない味で、美味しいかどうかも分からない感じではありました。
 それは、いつも、濃い味付けや強い刺激に慣れていたからです。
 だから、「薄い味」を自分が感じることができず、何となく食べ進めている感じでした。

 しかし、だんだんと五感(味覚)を研ぎ澄ませながら味わっていると、かすかな味、特に野菜本来の甘味やおいしさを感じるようになりました。

 そして、味わって食べようとすればするほど、自然とよく噛んで食べるようにもなり、味だけではなく、口の中の食べ物の硬さや香り、形、様々なことを想像して、感じて食べることができました。

 おかげで、結構な量がありましたが、すーっと体に入っていくという感じで、気付くと、たくさんの料理を食べきっていました。
 
 今回の、この「薄味に対して五感(味覚)を研ぎ澄ます」ことについて、後から、気付いたことがあります。

 それは、トイレ掃除とのつながりです。

 トイレ掃除の功徳については、今までの記事にもたくさん書きましたが、大きなものとしては「気づく人になれる」と言うことがあります。
 
世の中で成果を上げる人とそうでない人との差は、無駄があるか、ないか。
その無駄をなくすためには、気付く人になることが大切であり、近道です。
気づく力が付くと、無駄をなくせます。その「気付き」をトイレ掃除は引き出してくれます。
 
 ただ、私自身は、たしかに、掃除を続けてきて、気付くことが増えてきたなとは思っていましたが、どうして、そうなるのか?は感覚的なもので、よくは分かりませんでした。
 
 しかし、今回、今回の食事体験で、次のようなことを感じました。
 
 トイレ掃除では、ひどい汚れのある便器の時は、その汚れに格闘しながら、ただ綺麗にすることに一生懸命になります。
 掃除後の清々しさ、達成感が大きくなりますが、あまり気付きは深まったようには思えませんでした。
 
 

むしろ、パッとは見はきれいな便器ほど、触ってぬめぬめしていたり、うっすらとほこり汚れがついていたりと、こちらから「感じよう」として、綺麗さの中の汚れに気づくことが多かったです。

 これは、今回の食事でいえば、いつも、味が濃いもの、強い刺激に晒されていると、微妙な味に気づけないということと似ている気がしました。

 薄味で、ちょっとした変化、味を感じようとしているからこそ、気づける味があります。
 トイレ掃除の中で、そんな、微妙な、ちょっとした変化を見つけようとする感性が刺激されていくと、より気づく力がつくのではないかと思いました。

 気づく力は、ある種の「直観力」ともいえます。
 そして、直観力がさえてくると、目には見えなくても、たしかに存在している「空気」「(雰囲)気」などを感じられることもできるのかなあと思います。


 これは「何となく空気が悪い」「何か、凛としたよい気が流れている」と感じる、あの現象です。
 
 
「気づきの向こう側」には、何があるのでしょうか?
 これからの楽しみの一つです。
 
 
ここまで読んでいただき、ありがとうございます
皆様の心にのこる一言・学びがあれば幸いです