幸せの人の一番の不幸は、「不幸がないこと」なのかもしれない
海の中にいる魚は、普段は「水がある」という幸せを生きていることに気づかない。
陸に上がって、「水が無い」という不幸を経験して、水がある「幸せ」な状態を理解できる。
毎日、3食、おなかいっぱい食べられるという日常を生きていると、不自由なく食べられる幸せに気づかない。
食べ物が無くて(病気で)、「食べられない」という不幸な状態を経験して、思い切り食べられるありがたみが分かる。
毎回、思い通りに行くゲームをしていると、簡単すぎてつまらなくなる。
思い通りにいくことばかりだと、意外に楽しくない。
試練やトラブル、ちょっとしたつらいことや悲しいことがあって、それを経験したり乗り越えたりすることがおもしろかったりする。
幸せな人の一番の不幸は、「不幸がないこと」なのかもしれない。
いつも幸せだったら、その幸せを「幸せだ~」と理解できない。
幸せしか身の回りになかったら、幸せと感じられない。
不幸なことがあって、それと比較できるから、「幸せ」への理解が深まる。
自分が神様だとしたら、人間が幸せを感じられるようにするために、ちょっとした不幸な出来事をおこすだろう。
自分が神様だとしたら、人間が喜びを感じられるように、ちょっとした悲しい試練を与えるだろう。
自分が神様だとしたら、人間が成長できるように、病気や失敗、悩みなどを経験させるだろう。
幸せの人の一番の不幸は、「不幸がないこと」なのかもしれない。
悩みや失敗、病気に試練、トラブルがあるということは、「しあわせ」なことなのかもしれない。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます
皆様の心にのこる一言・学びがあれば幸いです
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