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肯定と否定(反対)。今までの人生の否定を感じると、素直になれない。否定がないと自意識が歪む!?~「透明な螺旋」から考えたこと
➀本文にこんな言葉がありました。
・素直に肯定する気にはなれなかった。それをすれば、今までの生活がすべて否定されるような気がするからだ。
よく「過去と他人は変えられない。変えられるのは自分だけ」と言う言葉を聞きます。
過去については、その
当時あった出来事自体は変えられませんが、その「解釈」は変えられます。あるいは、自分にとっての意味を見出すと言い換えてもいいかもしれません。
例えば、事故に遭った、大病を患ったなどの事実、出来事は変えられません。しかし、その出来事を、ただ、ネガティブでマイナスにとらえるか、あるいは、プラスの意味を見出すかは、自分次第ですし、自分で変えることもできます。
事故に遭ったおかげで目が覚めたとか、大病を患い、何もできない時間を持てたことで、本当に自分がやりたいことを見つめたり、、時間を無駄にしない大切さを心底味わったりして、今がある・・・などです。
他人についてはどうでしょうか?
結論から言えば、
その本人が「自分は変わりたい」「成長した」「そのためのアドバイスを求めている」状態であれば、周りの人の一言でも、十分、変わるのではないか(変えられるのではないか)と思います。
しかし、自分を振り返っても、なかなか、人のアドバイスや助言は受け入れられません。
それは、受け入れる事が、今までの自分を否定することとイコールで結びつきやすいからです。
カウンセリングにも様々な手法がありますが、一番の元になるのがクライエントの話を傾聴する事になります。
傾聴する前のアドバイスで解決となるのは、悩みが軽かったり、苦しむ症状が小さかったりする人です。
本当に、深く悩んでいる人に、相手の話を聞き流して、いいことだからとアドバイスしても、クライエントは聞きいれないか、聞いたふりをして、次回からカウンセリングに来なくなります。簡単にアドバイスできるのは、自分に共感していないからと受け止められてしまいます。
本当に共感していくと、何も言えなくて、あるいは、「う~ん」とうめく様な状態にしかなりません。そして、何ができるかと考えた時、クライエントと一緒に「そこにいるだけ」というような心境、状況になります。
そのかわり、そこで、ラポール(信頼関係)が形成された後だったら、ひょっとしたら、こちらのアドバイスを受け取ってもらえるかもしれません。
相談されたほうは、相手の為にと思って、いろいろと助言しますが、それが、相手の今までの否定につながり、受け入れられない時があることを知っておいても損はないと思います。
どうするかと最終判断して、行動するのは、その本人だけです。
私が、相手に代わって行動、体験できるわけではありません。
似た話で、思想家の内田樹さんが、こんな経験談を紹介されていました。
(「身体で考える 不安な時代乗り切る知恵」 の本文より)
大学の助手をしていた時、フランスの詩を教えておられる、たいへん穏やかな先生がいらして、その方にコーヒーをお出しした。すると砂糖を5杯も6杯も入れるんです。黙っていればいいのに、僕はつい「先生、砂糖を摂りすぎじゃないでしょうか?」と言ってしまったんです。そしたら、その常日頃はきわめて温厚な先生が、「そんなことは僕の勝手だろう!」とこめかみに青筋を立てられた。
その時に「ああ、そういうことは言ってはいけないことなんだ」と知りました。
「砂糖は毒ですよ、ゴミですよ」と言うのは、「それを食べているお前もゴミだ」ということとほとんど同義ですからね。
そして、結論的な事につぃて、次のまとめを言っています。
他人の性生活と食生活に関しては、横からあれこれ言うべきじゃない。「どうぞお好きなように」でいいと思うんです。「いい悪い」じゃなくて、「好き嫌い」なんだから、理屈は言わないでいい。言うと、やっぱり言われた方は深く傷つくんですよね。
人との距離感について考えさせられます。
良かれと思って、アドバイス、助言をすることが、相手の心に土足で踏みこんでいる状態になっていないか、気を付ける必要もありそうです。
②「透明な螺旋」の本文に次の言葉もありました。
・半人前の若造のくせに自己評価が高くて、自信だけは有り余っている。鼻っ柱をへし折られるまで未熟さに気づかない。
この文を読んだ時にぱっと浮かんだのは、
ほめてばかりで叱られない、「いいね」ばかりで、「否定される」ことは、「悪口、誹謗中傷」ととらえることばかり続いたら、自意識が歪むのではないか?
と言うことです。
「いいね」が増えると嬉しいですが、同じくらい、自分の意見、記事、投稿などに「反対」「否定」する人はいます。ただ、そのボタンを押さないだけで。
でも、数字として見える「いいね」ばかりを見ることで、何か、自分はすごい存在だと「錯覚」してしまうのかもしれません。
また、
「ほめる教育」が推奨されていますが、それは、「叱る厳しさ」の否定ではないはずです。
何でもほめられるばかりでは、社会性は身に付きません。
また、自分の衝動をコントロールする力もつかないので、社会にうまく適応できなくもなります。
例えば、「遅刻して叱られたから、バイトを辞めた」「自分が騒がしくしていたことを注意されてたとき、傷ついたと言って、相手が悪いと非難する」などなど。
「心が折れる」という表現がありますが、実際、心はそんなに、ぽきりと折れるようなものではなく、もっと柔軟な気がします。
むしろ、ずっと褒められ続けて、叱られたり、注意されたりすることがないと打たれ弱く、傷つきやすくなってしまう・・・そこに生きづらさが生まれてくるのではないかとも思いました。
もちろん、「厳しく叱る=怒鳴る、脅す」ではないので、言い方、伝え方に配慮が必要ではあると思います。
③今回の「透明な螺旋」は、人気シリーズ「ガリレオ」の1つです。
主なあらすじは次の通りです。
房総沖に男の銃殺死体が浮かんだ。同時に警察に行方不明者届を出していた同居する女が失踪。警視庁捜査一課刑事・草薙俊平と内海薫は、事件を捜査する過程で、ガリレオこと天才物理学者・湯川学の名前に行き当たる。草薙が湯川の住む横須賀のマンションを訪れると、そこで湯川は意外な生活をしており……。
本作では、これまで誰も知らなかった、湯川の驚くべき秘密が明かされる。殺人事件の捜査と並行してその謎が解き明かされる過程は、シリーズのファンならずとも必読。
今までのような、アッと驚くようなトリックを見破ってと言う話ではなく、むしろ、主人公である湯川先生の過去、秘密が明かされるという内容がメインだった気がします。
そして、家族関係やDVなどが背景として描かれていて、少しシリアスな感じでした。
ファンとしては、おえておきたい1作だと思いました。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます
皆様の心にのこる一言・学びがあれば幸いです