あるメンターの教え④~引き寄せの法則の誤解、目標をもつ功罪
私が親しくしている方から聞いた話です。
実際にご自身が会われた、あるメンター?の教えについてです。
「この教えはあまりに一般常識とはかけ離れている内容が多いため、仲が良い人にも言わずにいた。でも、自分だけのものにしておくのはもったいないと思えてきたので・・・たぶん、頑張っているのにうまくいかない人、空回りしてしまっている人の生き方のヒントにはなると思います(自分がそうでしたので)」
とことわりつつの話でした。
確かに、「え、本当に・・・」「う~ん」と考えさせられ、信じられないと思える内容も多々ありました。しかし、「そう考えると生きやすくなるかも」「人生が充実してくるかも」と思える内容も多々ありました。
また、実際、その教えを知って生き方をかえられたその方は、現在、作詞作曲もしますし、YouTubeに歌をアップしています。自分で(仲間と)塾(勉強会)を立ち上げられていますし、最近、本まで出版したり、と大活躍しています。その方自身が大きく変わられた、「うまく歯車がかみ合い始めた」様子でしたので、説得力はありました。
とはいえ、私とその方とは別の人間なので、100%当てはまるわけではないと思います。よって、ここでは私が共感できた、腑に落ちた部分について紹介します。
*スピリチュアル系な話が苦手な方はスルーしてください。
*あくまで一つの見方、考え方です。それがすべて「正しい」「事実(真実)」と言うことではありません。
1 魂の成長は「幅を広げること」
科学的には証明されていないので、いきなり、「あやしい」話かもしれませんが、人間には「魂がある」と言う前提で話が進みました。
そして、魂の目的は何か?ズバリ一言でいえば
成長すること。
そして、
(魂の)幅を広げること
になります。
さらに面白いのが、魂は生まれ変わるので「人生の前半(40歳くらいまで)」は、過去世の影響を受けるのだそうです。
なので、過去世でストイックな生き方をしていた人は、やはり、その影響を受けて、ストイックに頑張る生き方をしがち。逆に、人のために奉仕する生き方を過去世でしていた人は、やはり、職業などは違うにしても、人に関わり、支える仕事に就きやすいそうです。
しかし、今世で、過去世と同じような生き方をしていると、魂的には「全く成長にならない」です。過去世で行ってきたこと、卒業した生き方を、今世で繰り返しても、成長がない~魂の幅が広がりません。だから、過去生とは別の考え方、生き方が求められます。
ストイックな生き方(過去世)だった人は、「楽しむ」ことを積極的に取り入れたり、「~すべき思考」になりやすいので、「ゆるく(ゆるす)」生き方を意識したりすると、「魂の幅」が広がり、なおかつ、現実世界(自分の人生)が、うまく流れていきます。
あるいは、人を癒す生き方(過去世)だった人は、今世は、自分を大事にするという意味で、「自分を主張して」「アグレッシブ」な生き方を意識して、行動につなげていくと、魂の成長につながります。
2 「引き寄せの法則(念ずれば叶う)」も人それぞれ。
「強く思う、願えば、その願いが引き寄せられて叶う」と知って、本も読み、あれこれ試してみました。しかし、正直、願いがどんどんと叶った!と言うことはなく、夢物語なのか、ただ、自分のやり方が違っているのか、うやむやで、曖昧なまま、気付いた時に、ちょっと願いをイメージして・・・という繰り返しをしてきました。
よって、目標としていたことが達成できたことはありますが、それが「引き寄せの法則」でできたことなのか、ただ、自分の努力が実のあっただけなのか、よくは分かりません。
そんなことを考えていたので、次の話を聞いた時は目から鱗が落ちる様な思いでした。
「念じたら叶うは、ウソです。
しかし、この言葉が役に立つ人はいます。それは、過去世やこれまで目標を描くという生き方をあまりしてこなかった人です。そういう人たちは、この「念ずれば叶う」を聞くことで、目標を考えて、行動する方へ行きます。すると人生も充実しますし、そのうちの何人かは目標を達成することもあります。しかし、全員ではありません。
大事なのは、自分の本性に沿って、わくわくすること、楽しいと思える気持ちを基に行動することです。
目標を決めて取り組むことを楽しく感じる人はたくさんいます。そういう人は、目標をもって、どんどんと達成、叶えて行けばいいです。
しかし、
中には、目標を設定することで、そのことだけに思考が固まって、とらわれてしまう人がいます。そして、堅くなりますが、その状態はストイックさを生んで楽しめなくなります。そして、魂の成長にはつながりません。
簡単に言うと次のような流れです。
念じる(目標を決める)→とらわれる、執着しすぎる→自由を奪う、視野が狭くなる→楽しさを失う→魂が成長しない
誤解しないでほしいのですが、これは目標を持つなと言うことでも、目標をあきらめると言うことでもありません。
あきらめるというよりも、「路線変更」するといった感じです。
例えば、未来の成功ばかり考えて、今を楽しめていない自分に気づいたら、「もっと、わくわくした気持ちで取り組むにはどうしたらよいか」と自分の心に聞いてみてください。そこで新しいアイデア、方法が出てきたら、路線変更すればいいんです。それは、目標自体を変えることもあるし、目標は変えずにやり方を変えるということでもいいです。
私自身は、目標をもって、その達成にとらわれ、苦しくなってしまった経験、そして、達成できないのは自分の努力が足りないだとか、もっと頑張らなければいけないと自分を追い込んでしまったことがあるので、この「路線変更」「楽しむことで魂の成長へ」と言う話は、胸に響きました。
3 長期的に見ると、諦めない生き方が魂の成長の足かせになることもある。
これまで「目標を決めたら、石にかじりついてでも」「あきらめるな」「頑張って努力する」ことが大切と教えられて、それを守って生きてきた気がします。
そして、実際、そのおかげで目標を達成したり、自分が成長できたと感じたりすることは多かったです。
この「一度決めた目標をあきらめないで・・・」は、価値がある事なのではないか?と疑問に思っていたら、次のような内容もありました。
たしかに、あきらめずに目標に向かっていくという教えや指導が人の成長につながることもあります。でも、それは短期的なことであることが多いんです。つまり、その時、がんばらせるための言葉であることが多いです。
だから、人生全体と言う視点で見た場合は、逆に足かせになってしまうことがあり、注意が必要です。
とくに真面目な人が陥りやすいのが、あきらめずにがんばる、努力することが行き過ぎて、執着になってしまうことです。
何か成果を出そうと思えば、継続的に取り組むことは必要でしょう。しかし、それが執着になってしまえば、心が堅くなります。そして、自由を奪ってしまします。すると、魂の成長にとって一番大切な楽しむということを忘れてしまいます。
ですので、
何かを続けていく時は、たとえ、それが、社会貢献やボランティアなど、周りの人が素晴らしいことだと言っている内容でも、自分と向き合って、単なる執着になっていないか、パターン化してハマっているだけで、楽しめていないのではないか?などと確かめることが必要です。
考えてみれば、目標をもつということは、ある意味、別の目標をあきらめるということとイコールです。どんな人にも同じように1日24時間の制限があります。何かに力を注ぐということは、別のものには力を入れられないということでもあります。「人生」という総合的な視点で見た場合、目標にこだわりすぎる、目標にとらわれ過ぎると、逆に無駄なことをしていたり、人生自体を楽しめなくなったりする弊害もあるということかなと思いました。
あちこちで夢や目標をもって、その実現を目指す生き方が奨励されています。
それも大切ですが、
夢や目標を達成できなかったら不幸人生になるわけではないと思います。
目標を達成するために生きているわけでもありませんし、達成できなかったから「失敗の人生」と言うわけでもありません。
その中の生き方で、何を学んだか。その学びが「魂の幅を広げる」につながっているかどうかが問われるのかなと解釈しました。
みなさんは、いかがでしょうか?
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
皆様の心にのこる一言・学びがあれば幸いです