自分のレベルが上がる 必要なキャラ
「ドラゴンクエスト」や「ファイナルファンタジー」等のロールプレイニングゲームが好きです。一度、クリアしても、パーティーのメンバーをかえたり、クリア時にはなかった特技を覚えたり、新しい装備品をためしたり、何回でもやりこんでしまします。
そんなロールプレイングに欠かせないのが「ラスボス」。
強かったり、「悪」「敵役」ではありつつも、その圧倒的存在感に、心惹かれる部分もあったりします。それは、「ジョジョの奇妙な冒険」の「ディオ」だったり、「鬼滅の刃」の「鬼舞辻無惨」など、アニメのキャラクターでもいえます。
強ければ強いほど、「倒しがい」があります。あるいは、いろいろと作戦をたてたり、仲間と協力したり、こちらもはらはら、ドキドキ、あるいは、何とか勝とうと夢中になります。
勝つためにとはいえ、気付くと、こちらの「レベル」も上がっています。
でも、考えてみたら、これは、現実世界でも同じではないでしょうか?
できれば、周りの人間関係をうまくつくっていきたいですし、悩まされたくもありません。
どうしても「嫌だな」と思える上司がいたり、嫌いだなあと感じる同僚がいたり。ひょっとしたら、パートナーの実家の親戚に悩まされることもあるかもしれません。
正直言って、そういう時は、できるだけ、その人との関係を避けたり、嫌々ながらも相手に合わせたりしています。
そして、家に帰って、相手に対して悪態をついたり、文句をいったり。
そこで終わってしまうと、ずっと嫌な気持ちを引きずったままになります。
ひょっとしたら、心の状態と同じ状態が現実世界に表れて来るという「引き寄せの法則」で考えたら、そういう、「文句」「不平不満」を相手にぶつけている状態が続けば、たとえ、会社を辞めたり、新しいサークルに入ったとしても、結局、前と同じような「ラスボス」が現れてくるのかもしれません。
そういう
「嫌だな」と思う相手がいるからこそ、自分を一番成長させてくれます。
「人間関係は、写し鏡」とも言われます。
他人を通して、自分を知ることにつながります。。
困ったなあ、世話が焼けるなあ、やっかいだなあ、嫌いだなあと思う相手や時もありますが、「そのおかげで・・・」ということも同じくらいあります。ただ、それに、気付かないだけで・・・。
これは、「ドラクエ」でいえば、自分のレベルが上がったり、仲間を増やしたり、相手(ラスボス)に合わせた作戦を考えたり、につながります。
そして、「まだまだ、対決するには、今の自分は~だ」と、自分自身と向き合うことにもなります。
もっと言えば、相手に感じるマイナス部分というものは、自分の中にもあるともいえます。自分が目を向けない「嫌な部分」を相手の中に「見る」から、心が穏やかでいられないだけです。
聖人の代表であるイエス・仏陀だからといって、すべてうまくいっていたわけではありません。
「弟子に手を焼いた」、つまり人間関係で苦労したそうです。
イエスはユダによって、仏陀はダイバによって悩まされました。
でも、大きい(上から)視点で考えたら、そういう聖人、徳が高い人だからこそ、何でもうまくやってしまっては成長もないので、定期的に身近な厄介者との縁がやってくるのかもしれません。
仏陀を悩ませたダイバダッタは釈迦に次いで二番目に優れた人(従兄弟)です。
でも、仏陀に背いて、邪魔ばかりする人でした。
しかし、とうの仏陀は
「ダイバダッタがいたおかげで、自分はこれだけのものを悟ることができた」
という言葉を残しているそうです。
「嫌だなと思う出来事」で悩むことがなかったら人は成長しないってことなのかもしれません。
そういえば、ダイバダッタは「天授達多」と書くらしいです。
字からしても、天からの授かりものという意味が込められていそう!
自分に合わない人、困った人間関係で無理をする必要はないと思います。
でも、逃れられない厄介者と出会ったら
「ダイバダッタ登場!」
「手強いラスボス」
と考えてみたら、少しは見え方が変わるかもしれません。
苦手な人と格闘する中で、自分の内面がプラスに磨かれたら、その内面と同じようなプラスの状態(出来事、人物、豊かさ・・・)を引き寄せられてくるかもしれません。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます
皆様の心にのこる一言・学びがあれば幸いです