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「もう、死にたい!」・・・「明日までにコロッケを作って!」~小林正観さんにまつわるエピソード   

 小林正観さんの本業は旅行作家、トラベルライターです。
 そして、全国各地を回り、宿泊先で、繁盛する宿とそうではない宿との違いについて話をしたり、同じ宿に泊まった人との交流(お茶会)で、いろいろと面白い話をされていたことがきっかけで、「講演会」の頼まれるようになり、ピーク時には年間300回も講演するようになったそうです。
 そして、逆にそこに集まった人からの「面白い話」を聞き、事実を検証することで、「不思議な話」の科学的な意味も探り、それが海外の大学にも認められ、「心理学博士」「教育学博士」「社会学博士」になりました。
 
2011年に亡くなられましたが、そこから、本が売れ続けていくという、本当に不思議な方です。

 また、本が売れはじめ、巷では有名になって来た時でも、テレビやマスコミには顔を出さず、やはり、頼まれごとや「そ・わ・か」(掃除・笑い・感謝)を」大切にしながら生活されていました。
 そんな小林正観さんにまつわるこんなエピソードがあります。
 
 ある日の真夜中。
 正観さんのご自宅に「もう、死にたい・・」と電話がかかってきました。
 相手は、正観さんの奥様のお友達。
 「死にたい・・」とは穏やかではなく、緊急事態です。
 
 私だったら、こんな電話を受け取ったら、慌ててしまうし、何を言っていいか、困ってオロオロしてしまいます。
 でも、冷静に考えてみると、口では「死にたい・・」と言っていますが、電話をかけてきたこと自体、気持ちとしては、心の奥では「生きたい」と思っている証拠でもあります。
 たぶん、それを察知したのでしょう。正観さんは、奥さんに次のように伝えます。
 
 これからすぐに友達の所へ行って、このジャガイモ(たまたま最近届いていた北海道のジャガイモ)を持っていって、こう頼んでください。
 「このジャガイモを全部使って、明日の朝までにコロッケを作ってほしい」と。

 
 自殺をほのめかす相手に対して、まさかの「コロッケ注文!!」
 それでも、正観さんの迫力?ぶれの無い一言?に感じるものがあったのか、日頃の信頼関係のお陰か、奥様はその助言通り、友達の家に行き、お願いしたそうです。
 
 結果・・・。
 翌朝になると、その奥様の友達は大量のコロッケを作って、持ってきたそうです。
そして、こう言いました。
 
コロッケを作ってほしいと言われたことは嬉しかった。朝までにと言われたから、眠らずに夢中でつくって、夢中で揚げました。そうしているうちに、気がついたら死にたいという気持ちが無くなっていました。
 
 正観さんは、奥様の友達の心に「自分は必要とされていない」という寂しさが、その人の「死にたい」気持ちのもとにあることを察知して、「コロッケ注文」を依頼しました。
 
 このエピソードを読んで、私は2つのことを思い出しました。
 

一つ目が、「言葉の裏側にある気持ち」です。

 「嫌い」「もう別れたい」とずっと言っていても、別れない人がいました。考えてみると、今回の「死にたい」に似ていて、本当に嫌いになって、さよならしたければ、もっと静かに別れています。でも、別れずにいるということは、本心では、「寂しい」「もっとわかってほしい」「もっとうまく付き合いたい」・・・という気持ちがあって、その気持ちを理解されなくて嫌だという思いが、言葉では「別れたい」「嫌い」になっていたともいえます。
 ネガティブな、否定的な言葉だけ聞くと、その言葉に反応して、けんかになったり、関係が悪くなったりします。

でも、言葉の裏側、特にどんな思いがあって言っているのかに気づいて、そこに焦点を当てて話ができれば、関係を修復したり、今までよりも気持ちが通じ合ったりします。

 私自身もできているわけではありませんが、より「どんな思いがあってその言葉が出てきているか」に、気をとめたいなあと思います。 

二つ目が、定年退職された方の言葉です

 掃除の会で、一緒に活動している方で、次のように言われていて、ピンとくるものがありました。
 
高齢者には、「きょうよう」が必要なんですよ。
 
私は、「教養」と思って、「生きる知恵」とか「心の豊かさ」の事かなと考えていたら、その方はフフフと笑いながら、こう言われました。
 
 高齢者にはね、「今日、用」が必要。 
 何か、用事があって出かけることが必要なんですよ。
 やっぱり、人に頼られたり、自分にもできることがあるっていうのは、うれしいことだし、励みになるんですよ。必要とされているということが生きるエネルギーにもなるしね。
 もちろん、用事があって出かければ、体も動かすし、健康にもいい。

 
 休日があるのは嬉しいですが、毎日、お休みというのも退屈したり、逆にはりがなかったり、それはそれで「しんどい」ことなのかもしれません。毎日、仕事を含めて、やることがあり、その中で、また自分のやりたいことがありで、バランスが取れるのかなといろいろと考えさせられました。
 
 正観さんは、講演や本の中で、「しあわせ」につながる様々な方法や考え方を紹介しています。

 中には、科学的には???という「怪しい」とされる話もなくはないですが、正観さん自身の生き方や今回のようなエピソードを知ると、実際に取りいれてやってみたくなります。

 何より、正観さんは「こう生きなさい」とか「~しないと悪いことが起こるぞ」等と強制や脅すようなことは一度も言っていません。むしろ、「~すると~になるみたいですよ」「~してみると(考えると)、いいみたいですよ」と軽やかで、あたたかい感じがあり、

「自分で(私が)選択できる」余地があるからこその安心感もあります。


 
  「そ・わ・か(掃除・笑い・感謝)」をはじめ、私自身も正観さんの言葉を参考にして、生活の中で意識したり取り入れたりしていることが多々あります。

 そして、何より、だんだんと日々のくらし、心が楽になってきていることを実感しています。
 
 ありがとう、正観さん。
 
 
 
ここまで読んでいただき、ありがとうございます
皆様の心にのこる一言・学びがあれば幸いです
 
 
 

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