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あるメンターの教え③~「人のために・・・」が正解ではない人もいる。社会貢献を楽しめる人が行うもの。
私が親しくしている方から聞いた話です。
実際にご自身が会われた、あるメンター?の教えについてです。
「この教えはあまりに一般常識とはかけ離れている内容が多いため、仲が良い人にも言わずにいた。でも、自分だけのものにしておくのはもったいないと思えてきたので・・・たぶん、頑張っているのにうまくいかない人、空回りしてしまっている人の生き方のヒントにはなると思います(自分がそうでしたので)」
とことわりつつの話でした。
確かに、「え、本当に・・・」「う~ん」と考えさせられ、信じられないと思える内容も多々ありました。しかし、「そう考えると生きやすくなるかも」「人生が充実してくるかも」と思える内容も多々ありました。
また、実際、その教えを知って生き方をかえられたその方は、現在、作詞作曲もしますし、YouTubeに歌をアップしています。自分で(仲間と)塾(勉強会)を立ち上げられていますし、最近、本まで出版したり、と大活躍しています。その方自身が大きく変わられた、「うまく歯車がかみ合い始めた」様子でしたので、説得力はありました。
とはいえ、私とその方とは別の人間なので、100%当てはまるわけではないと思います。よって、ここでは私が共感できた、腑に落ちた部分について紹介します。
*スピリチュアル系な話が苦手な方はスルーしてください。
*あくまで一つの見方、考え方です。それがすべて「正しい」「事実(真実)」と言うことではありません。
1 魂の成長は「幅を広げること」
科学的には証明されていないので、いきなり、「あやしい」話かもしれませんが、人間には「魂がある」と言う前提で話が進みました。
そして、魂の目的は何か?ズバリ一言でいえば
成長すること。
そして、
(魂の)幅を広げること
になります。
さらに面白いのが、魂は生まれ変わるので「人生の前半(40歳くらいまで)」は、過去世の影響を受けるのだそうです。
なので、過去世でストイックな生き方をしていた人は、やはり、その影響を受けて、ストイックに頑張る生き方をしがち。
逆に、人のために奉仕する生き方を過去世でしていた人は、やはり、職業などは違うにしても、人に関わり、支える仕事に就きやすいそうです。
しかし、今世で、過去世と同じような生き方をしていると、魂的には「全く成長にならない」です。過去世で行ってきたこと、卒業した生き方を、今世で繰り返しても、成長がない~魂の幅が広がりません。だから、過去生とは別の考え方、生き方が求められます。
なので、ストイックな生き方(過去世)だった人は、「楽しむ」ことを積極的に取り入れたり、「~すべき思考」になりやすいので、「ゆるく(ゆるす)」生き方を意識したりすると、「魂の幅」が広がり、なおかつ、現実世界(自分の人生)が、うまく流れていきます。
あるいは、人を癒す生き方(過去世)だった人は、今世は、自分を大事にするという意味で、「自分を主張して」「アグレッシブ」な生き方を意識して、行動につなげていくと、魂の成長につながります。
2 本性~生まれながらに持っている独自の感覚が違う。そこにそれぞれの役割が生まれる。
当たり前と言えば当たり前ですが、どんなに近い距離の家族であっても、私自身ではないので、感じ方も考え方も似てはいたとしても全く同じにはなりません。地球上にいる人すべてが、自分とは違う感覚をもって、違う現実を見て生きています。
しかし、日々の生活の中では、それを忘れてしまいがちです。
みんな自分と同じように感じる、捉えているのだろうと錯覚してしまう時があります。そこにトラブルが生まれますし、避けるためにも想像力が必要になります。
同じ状況でも何を楽しいと感じるか、幸せと感じるかは人それぞれになります。
こんな話を聞きました。
「人は生まれながらに、何を楽しいと感じるか、のセンサーが違って生まれてきています。これをその人が持って生まれた本性と言います。
この本性はみんな違っていますが、大体次の3つに分類できます。
一つ目は、世の為、人の為に行動を起こすことで「楽しさ」を感じる人です。
二つ目は、自分自身を喜ばせる行動をすることで、最高の「楽しさ」を感じる人です。
三つ目は、1と2の中間の人です。
そして、この本性に沿った行動をするとき、人はワクワクと楽しい気持ちになります。」
私自身は、これまで、教育の中で、あるいは、社会の中で「人のために行動することは尊いこと」「人を喜ばせるために生まれて来た」というような言葉をそのまま真に受けていていました。
そして、過去の大震災があった時に、ボランティアとして何かしなくてはと思いながらも、それができずにいて、自分を責めていた時期があります。人のために動けない自分が、弱い人、思いやりがない人のように思えて、自分はダメだなあと感じていました。
しかし、こんな話が続き、ぱっと視界が開けるような思いがしました。
「災害時にボランティアに駆け付ける人が増えてきました。素晴らしいなあと思います。でも、彼らは人のために行動することで自らも「楽しさ」を感じる人であり、逆に言うと、そうしないと不快を感じてしまう人でもあります。何とかしないといてもたってもいられないという感じでしょうか。
一方、ボランティアに行かなかった人は、素晴らしくないのかと言うと、全くそんなことはありません。ボランティアに行かなかった人は、他人を喜ばせるよりも自分の場所に残り、自分のやりたいことをしたり自分の仕事に集中したりすることで「楽しさ」を感じる本性があります。
人生の目的は魂を成長させることにあります。そのために、
善行を積むことや社会貢献をすることだけでなく、自分の本性にあった「楽しむ」ことがもっとも成長の道を開きます。なので、自分の本性にあった行動が大切になります。」
このお話に、私は少し楽な気持ちになりました。
「人の為に何かするべきだ!」という義務感、「~であるべき」と言う考えで行動したこともありましたが、やはり気持ち的にしっくりこず、どうも偽善的な気もして、楽しくはないし、むしろ、そんな心の状態でいる自分がいけないことをしているようで、何かしんどくなっていたことも事実です。
そして、自分の本性に沿って、自分の「楽しい」と言う気持ちに合わせた「役割」をはたしていけばいいのだなと、思い直せました。
3 自分の心に正直に生きること=魂の幅を広げることに合う生き方をすること
先ほどの続きですが、これまで、そして現在も、多くの人達の為に活動して、業績や足跡を残した人はたくさんいます。そして、彼らをみんなが称賛し、そういう人を「目指す」ことをよい事としてきました。
でも、それについて、こんなお話がありました。
「みんながみんな、ブッダやダライ・ラマ、マザー・テレサのようにならなくてもいいわけです。
むしろ、マザー・テレサもただ自分の本性に従ってやっていただけではないでしょうか。インドの貧しい人たちに手を差し伸べるという活動自体が彼女にとっては楽しかったのだと思います。だから、逆に言うと、あれだけのことができたのではないでしょうか。
人生の目的=魂の成長、魂の幅を広げる事で考えると、人それぞれ役割が違うのだから、比較しても意味はないですし、する必要もないと思います。
一番は、自分の心に正直に生きる事、つまりは魂の声に従って生きることが、まず第一です。それが、人の為になるかならないかとかは二の次です。
まずは、わくわくとか楽しいとか、自然と湧いてくる気持ちを大切にしてみてください。そして、これが自分なんだと素直に思える事が大事なんじゃないでしょうか。
そうやって、
楽しく、機嫌よくやっている人は、それだけで(ボランティアなどに出かけて行かなくても)、周りの人を幸せにできると思いますよ」
私は、この「周りの人を幸せにする」の言葉がとても印象に残りました。
自分が義務で、頭でよいことだからと考えてボランティアや社会貢献をした時は、どこか恩着せがましくなったり、上から目線的な言動になったり。帰宅しても、ちょっと不機嫌と言うか、「楽しくない」のに、無理して頑張って来た~と言う思いがあって、表情は曇っていた気がします。それでは、結局、自分の周りにいる人に不機嫌が伝染し、嫌な空気にしてしまうだけです。
だったら、自分の本性に従って、その場で自分が楽しめることで、明るく、軽やかに過ごしたほうが、周りのみんなに良い影響を与えられるのではないかと思いました。
皆さんはいかがでしょうか?
ここまで読んでいただき、ありがとうございます
皆様の心にのこる一言・学びがあれば幸いです