小林正観さんに学ぶ~「受け入れる」ことで幸せに気づける。不平不満や愚痴は、出来事を否定しているサイン。
2023年に、「小林正観さん(の本)との再会」を果たしました。
約15年間の時を経て(大げさ~でもそれぐらい、巡り巡って、もう一度、新しい学びが起こったという意味も込めて)、新たな出会いとなりました。
15年前は、ただ読んで、「なるほど」「おもしろい」と感じて、それで終わりだった内容が、今現在は、自分の経験、価値観の変化やとらわれなどを見直し、大きな気付きを与えてくれました。
さて、今回のテーマは「受け入れる~悟り」についてです。
小林正観さんは次のような言葉を遺しています。
・起きてくる現象をすべて受け入れれば、「つらい」「悲しい」と思わなくなる。
・「何も起きず、普通に、淡々と過ぎる日常」こそ幸せの本質であると気づくと、災難と無縁になる。
・過去、現在、未来を受け入れたら「悟れる」
過去の私は(もちろん、今もちょくちょくありますが)、嫌な出来事、トラブルに遭遇して、愚痴や不平不満、文句ばかり言っていました。
それは、目の前の出来事を「受け入れられない」思いから来るものでした。目の前の出来事を否定しているから、ネガティブな言葉が出てきました。
しかし、ネガティブな言葉を言い続けても、事態は改善されませんでした。
そして、さらに解決困難になったり、さらに、苦しいと感じる出来事を経験したりしました。
そこから逃げ出したこともありましたが、今思うと、不思議と、新しい場所でも、似たような出来事を経験して、苦しい思いを繰り返すばかりでした。これが第一段階でした。
これではいけない、何とかしたいという思いで、「不平、不満、愚痴」等の言葉を口から出さないように努めました。苦しい思いは変わりませんが、とにかく「ありがとう、ありがとう」と言い続けて、頭で「感謝」しようとしました。
とはいえ、すぐによくなったり、トラブルがなくなったりするわけではありませんでした。ただ、ゆっくりと出来事に対して「プラスの意味」「ポジティブな面」を捉えられるようになってきました。これが第二段階でした。
ありがとうを口にして、掃除活動に力を入れるようになって、以前に比べたら、苦しい思いをすることは減りました。おかげで、ポジティブな思いを持つこと、ポジティブな見方をすることの大切さを確信しました。
しかし、逆に、ネガティブな思いを「もってはいけない」と誤解しました。
そして、
特に「わくわく」「楽しく」「ポジティブに」の言葉に疲れてしまいました。
いずれもいいことだ、仕事でも、家でも、趣味でも、何でも前向きに、とにかく明るく過ごすことが大切、価値があると思い、「がんばって」ポジティブな言葉を使う、わくわくしようとしていました。
しかし、心の中で何か違和感があったり、気付くとため息をついていたりすることも多くなっていきまました。そうすると、「あ~これじゃいけない。楽しまなきゃ、わくわくが大切だ」みたいな感じで、さらにシャカリキになって「前向きにしよう」としていました。
そうしたら、うまくいかない出来事も多くなったりしたんです。
そして、自分の周りにいる、いつも楽しそうな方を見て、比べて、逆に落ち込んでしまうということがありました。これが第三段階でした。
そんな悶々とした日々の中で、ポジティブな思い、わくわくと言う言葉に疲れていた時、たまたま鉛筆画を趣味にしている知人から次の言葉を聞きました。
「影を描くことによって、光が現れる」
「光を描こう、物を描こうというよりも、影を描くことによって光が現れてくる」
これは、鉛筆画の技法として言われた言葉だったんですが、自分にとっては衝撃的な一言で、パッと心に雷が光ったように文字が刻まれました。
そして
「あ、自分は影を見ようとしていなかった」と気づきました。
アタマで考えて、「わくわくしなきゃいけない」「楽しまなければ、いい人生にならない」と無理やり、「光」ばかり見ようとしていました。
実際には、日常生活のいろんな出来事、人間関係、投げかけられる言葉は、全て「いいもの」ばかりではありません。
時に「怒り」を感じたり、「悲しい」気持ちになったり、「寂しく」なったりと、「影」の部分もありました。
そんな時、今までは、
これらの出てきたマイナスともいえる「感情」を無視したり、なかったことにしようとしたり、ポジティブでなきゃだめだと、無理におさえ込もうとしたりと、ごまかしていました。ある意味、自分を「だまして」いました。だから、常に摩擦がおこって「疲れる」ことになったんだと気づきました。
ただ、今回の言葉を聞いて、
たとえ「マイナス」と呼ばれる感情でも、理由があって感じているものだし、それも生きている証と思えてきました。
また、「怒り」についても、今まではどうしても「怒り=暴力、暴言」のように思っていて、怒りを「感じる事」すらダメな事と受け止めていました。
しかし、「義憤」「公憤」という言葉もあるように、理不尽なことや自分の尊厳を傷つけられることがあった時、「怒り」が起きるのは当然で、怒りは強いエネルギーだからこそ、「何とかしよう」と行動につながるエネルギーにもなります。
自分は、怒りを「感じる」ことと、怒りを「暴力」などの「マイナスな行動」とを同じに考えていたので、「怒ってはいけない」と、おさえようとしていたと気づきました。
むしろ、そうやって、おさえこんでいくから、火山のマグマのように、心の底にたまっていって、ある時「爆発」したり、言わないでいい時に、余計なことを言ったり、したりして(怒りのエネルギーが漏れて)、人間関係がぎくしゃくしたりしたのかなと自分のこれまでの言動に大きな、深い気づきを得られました。これが第四段階でした。
2023年に「小林正観さん(の本)」と再会しました。
そして、小林さん自身が、私の目からすると「不幸」と思えるような出来事を経験されてきていることを知りました。そして、いろいろと「見えている」すごい人にも、困難、トラブル、不幸と思えるような出来事がやってくるんだと新しい発見がありました。
違いがあるとしたら、
「自分に起きたことやこれから起きることは、すべて自分が成長するために必要だ(った)」と思えるかどうか
です。そして、
今自分にできることを全部やり切る、不平不満すら出ないくらいに「今、ここ」に気持ちを注いで正対していくとことが「受け入れる」ことだと分かってきました。
これが現段階の自分です。
最後に、小林正観さんの言葉です。
トラブルは神さまに見込まれた「代償先払い」。その後に、楽しい出来事が待っている。
私自身は、まだまだトラブルに遭遇して、右往左往、愚痴の一つも出ますし、我慢して何とかしようとします。でも、「神さま」に見込まれたんだ!と思って、いろんな感情を「楽しみ」ながら、目の前の事に淡々と向き合っていきたいと思っています。これが未来の段階かなあ・・・。
皆様の心にのこる一言・学びがあれば幸いです。