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#104【死生観】人生はトレードオフの連続

こんにちは。ようやくインフルエンザの症状がだいぶ良くなってきたので、今日からリハビリも兼ねnoteの更新を再開したいと思います。

今日は木下さんのVoicyでも度々出てくる「死生観」について。私も持病があって色々考えながら生きていますので、書いていこうと思います。


○死生観とは?

まずは定義からです。Wikipediaは説明がシンプル過ぎたので、他のサイトで分かりやすかった、有料老人ホームイリーゼを運営する企業様のHPから引用させていただきます。

●死生観の定義
死生観とは、生きることと死ぬことに対する考え方、または判断や行動の基盤となる生死に関する考えのことです。
誰にでも死は訪れるものですが、死後の世界は未知の世界でもあります。そのため、人の死に対する考え方や価値観などは個人で異なります。
死について考えるきっかけも人それぞれです。例えば身近な人が亡くなったり、事故や病気で生死をさまようような体験をしたりして、死について考えることもあるでしょう。
海外の場合は、死生観について宗教から影響を受ける人が多く見られます。キリスト教や仏教など何かしらの宗教を信仰している人が多く、宗教では死や死後の世界について教えが説かれているからです。
信教の自由がある日本では特定の宗教を信仰しない「無宗教」の人も多く、ほとんどの人が死生観に宗教の影響を受けにくいといえます。
かつての日本には、死をタブー視するような考え方がありました。
しかし、近年では、自分の死に備えて活動する「終活(しゅうかつ)」を行う人も多く見られます。
「人生の終わりをどのような形で迎えたいか」について考え、準備することは、決して後ろ向きな行動ではなく、「今をどう生きるか」につながる前向きな行動として捉えられつつあるのでしょう。

イリーゼHPより

死生観とは、生きることや死ぬことに対する考え方ですね。言葉のインパクトとして「死」が強い印象を受けますが、死生観でいう「死」とは、ある種人生のゴールというか目標のようなことを指すのではないかと思います。誰しも死は避けられないわけですし、いつどうやって死ぬかは誰にもわからないわけです。例えばよく死ぬ時に悔いがないと思えるか?という話がありますが、最後の時に、自分の人生の目標が達成されている状態であるか?という話だと思っていて、結局は死ぬまでの過程(生きているうちの行動)をどうするかということ次第なわけですよね。つまり、どう死ぬか?は、今を、そしてこれからをどう生きるか?という問題なわけです。

○楽しくて短いか、つまらなくて長いか

一昔前に金融庁の報告書で、老後資金2,000万問題というのがありましたよね。あれはシングルインカム月平均30万で40年働いて仕事辞めるという極端な試算でしたが。

この話を出したのは、何を大事にするのか?ということを自己判断できるか?がとても大事なことだと思うからです。

私の友人で、就職してからすぐ、60代からじゃないと引き出せない預金(定期預金だったか)にすぐに積み立てを始めた、なんてことを言っていた人もいましたが、老後という20代30代からしたら想像がつかない未来を懸念して、今に回すお金を制限するのか?という疑問が私の中にはずっとありました。

お金に限って言えば円の価値も相対性があるので円だけで貯金というのは微妙ですし、そもそも今が充実しないと、良い未来はないわけですからね。ジリ貧の状態でコツコツ貯めた老後資金を下ろせることを良しとするのかという。若い人が回すなら圧倒的に投資だよねと感じます(お金の投資ではなく、自己投資)。

私も持病の高血圧症の診断が降りて「減塩」をテーマに、一時期冷凍された減塩食の宅配サービスを利用してみたこともあったのですが、まずくてすぐやめました。
こんなもん食べながら長く生きてるくらいなら、毎日ステーキ食べて早く死んだほうが良いやと思ったのを覚えています。

もちろんそれから毎日ステーキ食べてるわけではなく、極端なことはやめて可能な範囲でやれることやって楽しく過ごそう、それで寿命がちょっと短くなっても別に良いやって思って過ごしています。

どう生きるか?という問題は、数多くのトレードオフの関係について自分がどちらを選んでいくかという意思決定の問題でもあるんだなと思っています。

○予測できない未来に対して変えられるのは「今」

結局将来のことを心配していても、何があるかわからないですよね。極端に今を重視しろという話ではなく、どう死ぬか(どう生きるか)について自分のスタンスをはっきりさせて、メディアなどの不安の煽りに負けないようにしっかり自己判断をしたほうが後悔しないと思います。

人生、判断の連続で正解はなく、幸せの定義も人それぞれですからね。超お金持ちがカウンターのお寿司屋さんで5万払って食べるお寿司よりも、意外と家族みんなで週末に行くスシローのほうが幸せを感じるんじゃないかな?とも思ったり。まあ、人それぞれです。

死の瞬間は誰にでも訪れるものの予測できないといいうのが厄介で、それは急に訪れる可能性も0ではないわけです。

実態のない想像すらできないかなり先の将来を重視するのか、それとも目の前にあって自分の行動次第で変化をつけられる今を重視するのか。

極端に今に依存するのではなく、少し先の未来を見据えて今を全力で生きるということが、結局のところ、想像できない将来に明るい輪郭をもたらすのではないかなと思います。

皆様はいかがでしょうか?置かれた環境も人それぞれですので、死生観というワードをきっかけに、自分は何を大事にするのか?ということを今一度考えてみるのも良いかもしれません。

余談ですがこうやって考えていくと、会社に一定数いる無駄なことで時間を奪っていく人に対しては、やはり毅然とした態度を取ろうと改めて思いました。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

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