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【感想】最近浴びたもの-20240706

簡単な感想を述べるだけであるが、
最近観たコンテンツについて書き残しておきたい。
※ネタバレを含む


関心領域

この映画で印象に残っているのは、
男の子の部屋の場面で、
外(収容所)から、りんごを争ったために、
川流しの刑に処された人がいることを聞いた、幼い子供が
「もう二度とそんなことをしちゃダメだよ」
というようなことを言い放つシーンである。

映画全体は、内容が単調で、カメラフレームも引きの画が多く、
隣にある収容所には希薄な関心であることが伺える。
さらに、収容所関連の職を持つため、大豪邸に住む家族は、
収容所の隣家(住宅)を「楽園」とまで呼ぶ。

映画を音無しで見れば、
サウンドオブミュージックのような
風雅な一家の様子にも見える。
しかし、悲鳴や銃声のような音が映画全体として裏で流れており、
終始異様な光景である。

映画全体として、対比表現として、
普通で単調で無関心であるからこそ、際立つ残虐さ。

こういう映画表現もあるんだなと思った。

角田光代『八日目の蝉』

私がこの小説が好きな理由は、
私が向田邦子を好きな理由と近い気がしてならない。

私はあまり、小説を読まない性質であり、
なおかつ、小説よりも映画、漫画よりもアニメ
を観たいと思ってしまう人間である。
普通なら「映画も!」と思う私であるが、
この作品に関しては、映画を観たいとは思わなかった。

それが先の向田邦子を感じる理由にも
繋がってくるのであるが、
言葉で紡がれた描写力のすごさに、
いたく感動したのである。

また、どことなく日常を切り取ったエッセイの感じも、
私の嗜好と合う。

ドアノブをつかむ。氷を握ったように冷たい。

p.7

希和子は赤ん坊を胸に抱いた。(中略)
やわらかかった。あたたかかった。

p.10

以上が赤ん坊を連れ去る0章の、始まりと終わりである。

女の家にも醤油はあるが、いつのものなのか、どろりと黒く、においがきつくなっている。買い換えたいが、これを使い切るまであそこにいられるのか、と考えてしまう。

p.71

※生活の匂いがしない女の家にある醤油に焦点を当てている

細かい描写や、際立つような対比表現。
言葉という「確かな」表現でありつつも、
画が鮮明に見えてくる。

きっとこんなふうだったんじゃないか。ひしゃげたケーキを見下ろして私は思う。野々宮希和子という人と、秋山丈博という人のことだ。

p.262

こういった、形が崩れたケーキから、連想させていくさまは、
向田さんらしい表現だなと、自分には思えてならない。
そしてまた、女が強く、男の性根はダメであるような描き方も、
どこか向田さんらしい。
(今作がたまたまそのようであった可能性もあるが)

ただ、自分が向田邦子が好きなだけの感想ではあるが、、

角田光代の矛盾と思えるような言葉を平然と並べる表現も好きだ。

希和子は赤ん坊を胸に抱いた。(中略)
やわらかかった。あたたかかった。つぶれそうにやわらかいのに、何か決してつぶれないごつりとしたあたたかさがあった。なんてもろい。なんて強い。

p.10

一見、相容れない言葉が並んでいるようにと思えるが、
なぜかすっと了解できる。
なぜ、無矛盾なのか。

言葉と言葉の間に、言葉にできない言葉が潜んでおり、
それを感じとっているのではないか。
こういったものは、映画で表現する方が適しているようにも思えるが、
言葉で表現されてもなお、力強いように思える。

また、本作は、安部公房『砂の女』と同様に、
日常から逃げるしかなく、逃げ切らねば死も同然、
といった環境に立たされた人間が描かれている。
やはり、このとき湧き上がる人間の感性や思ったことは、
我々が日常見落としてしまいがちな、
どこか本質めいたことである。

今気づいた。醤油だの米だのというものは、ただの商品ではなく、暮らしの保証なのだ、

p.71

こういう言葉を目にした時、
はっとする。

ただ生きているだけで、
日々その実感もない自分なんかは、
よっぽど希和子よりも「がらんどう」ではないかと思えてくる。

この作品で悪い人は誰なんだろうか。
そもそも良い/悪いで断罪できる問題なのだろうか。
少しのずれが、大きな罪になってしまう、そんな世の中だから。

ただ、どんな人にとっても、
どんなに心に傷を負っていても(希和子という犯罪者や、その娘の薫も)、
美しいものは美しく映るのだ。

またこの作品に触れたときに、
全体について語ることができればと思う。
今回は、好きだったということが伝われば。

おいハンサム2!! ディレクターズカット〈完全〉版

6話(9分くらいのシーン)
男の人ってつくづく醤油差しみたいだなって思って

→→
なんか形がいいな~って思っても
使い勝手 悪かったりするじゃないですか

一見おしゃれで素敵でも
調整が難しくてドバ~ッて出たり

意外に安いやつでいいのかって思ったら
全然ダメだったり
→→

この比喩表現は秀逸だな。
上手い。

最終話の男を食べ物に例えるシーン
「ラーメンのトッピング全部のせ」みたいな人
→各パーツ うるさいくらい美しい。けど総合的に見ると過剰で美味しくない

「高級な焼き鳥屋のカウンター席」
→理想を高く掲げてきちんとしてる人。自分にも客にも厳しい。客も「良い客」としなければいけない。
→ゆか とにかく気を遣いすぎて味なんか分からない

「テーブルコショー」
→代わりが効かない

脚本か原作どちらかわからないが、
痺れる。


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