読書記録2024/12/31 今年の読書のまとめ
しばらく、読書もこのノートにおける記録も触れられていなかった。
人並みに大掃除とか、年末の仕事などをしていた。
続けるというのは難しいものだ。いや、そんなことを言っている場合ではないんだが……
2024/06/15
合計: 318 ページ
磯崎憲一郎 『 日本蒙昧前史 第二部 』: 64 ページ
ナオミ・クライン 『 ショック・ドクトリン 上 』: 182 ページ
ジル・ドゥルーズ 『 カントの批判哲学 』: 72 ページ
今年六月あたりの読書。
磯崎憲一郎は、しばらく放置して読めていない。
どのように、小説であることの価値を担保するのか。ひとつの参考になるかもしれない。
『カントの批判哲学』も、読みさしている。こちらの方は、来年には読めると思う。
2024/06/12
合計: 114 ページ
ユイスマンス 『 腐爛の華 』: 114 ページ
そにっくなーすの本から借りて読んだ。
宗教の内部から書かれた本を求めていて、これを渡された、確かにそのような内容だった。荒唐無稽ではありながら、キリスト教徒が求める「贖罪」つまり純粋な苦しみを求めてやまない、という、敬虔ではあろうが禍々しくも凄くもある感情の一端を理解することができた。
2024/05/03
合計: 26 ページ
ニーチェ 『 生成の無垢 上 』: 26 ページ
文学フリマが終わって、自分のサークル名の由来になっている、ニーチェの『生成の無垢』を、何度も読んでは放置している。
ニーチェは、生前に出版されたまとまった本と、本にするはずだった、そして本の形に出来る限りまとめられた遺稿、それからまとまりのない遺稿、その中でも誰の意図によってまとめられた遺稿か、など、書かれたものに幾つかの次元があり、『生成の無垢』は、最後の区分のどこかにあたる。
かなりバラバラな印象はあるものの、遺稿を整理した一人であるボイムラーの意図のもと、ジャンル別、それからその中では時代別にその断片が並んでいる。
ボイムラーは、その、ニーチェのまとめられた書物にも、ニーチェの妹が遺稿を整理した『力への意志』からも抜け落ちた視点がここにある、といったようなことを言っていた気がするけど、ボイムラーも含めてどの束ね方が合っているとか、一切束ねないのが良いのだとか、そういったことも言えないだろう。
2024/04/29
合計: 104 ページ
ジェラール・ド・ネルヴァル 『 幻視者 あるいは社会主義の先駆者たち 上 』: 104 ページ
これはなぜ手に取ったのかもう覚えていない。変わった行動をする人々の見聞録、といった趣の本だった。上巻だけ読んで下巻は読まなかった。
2024/04/30
合計: 72 ページ
佐々木敦 『 新しい小説のために 』: 72 ページ
振り返ると、この一冊に振り回された一年だったとも言えるかもしれない。ここから派生して、いろんな本を読んだ。だが、何を読むべきだったのか、もう少し定めるべきだったかもしれないとも思う。
ロブ=グリエの『新しい小説のために』という全く同じ題名を持つ本と、柄谷行人の『日本近代文学の起源』を、かなり大きく下地として持っている。
最強のデッキではあるかもしれない、だが、そういう状態に伴う味気なさも同時に感じた。
2024/04/16
合計: 97 ページ
ミシェル・レリス 『 成熟の年齢 』: 97 ページ
娼館と闘牛と言葉にあふれた本。レリスの構成要素だ。誰しもが思い出を辿る時の独特の感触を抽象したかのような感覚、プルースト主義だろうか。レリスは、ここからどう発展していったのか、いまいち表現しづらい。何を書いた人と言えるのか。何だろうな。
2024/03/07
合計: 36 ページ
ドゥルーズ 『 スピノザ 』: 36 ページ
この本は、ここで三分の一程度読み進めて置いてしまって、今年の十一月に再開して読み終えた。なぜか、最初に読んだ時と、再開した時で、理解の度合いがずっと変わっていた。
とにかく、感染度が強く、最後の方になったら、いつの間にか巻き込まれていてドゥルーズと一緒にスピノザ主義者になっている、という、催眠術みたいな感触の本だった。
2024/02/23
合計: 148 ページ
アントナン・アルトー 『 アルトー・コレクションⅢ カイエ 』: 130 ページ
イマヌエル・カント 『 純粋理性批判 上 』: 18 ページ
アルトー・コレクションの方は、「カイエ」つまり書かれたものの集合という他を意味しない、かなり散らばった印象のある本で、ほとんど意味を取らずに読み進めたところがある。
『純粋理性批判』は、ここからほとんど読み進められていない。
2024/02/08
合計: 37 ページ
マルセル・モース 『 贈与論 』: 31 ページ
ベル・フックス 『 アート・オン・マイ・マインド 』: 6 ページ
贈与論、柄谷行人の一番最近に書かれた本などでキータームになっているらしいので読んでみたけれども、やはり、そういうオーラみたいなものを感じない、ここにそれほど重要なことが書かれているのだろうか、というのが正直な所だった。だが、あるとは思う。純粋に、贈与はいいことだ、資本主義から抜け出す為の新しい流通だ、などと簡単に考える事だけはいましめることができる。本家の贈与論に書かれていることは、全くそんな事ではない、むしろ、贈与から生まれるしがらみ、因習、返礼の品の価値をジッと見定めている相手、など、平和なイメージからは程遠い。
ベル・フックスの本を、今年の初めにいくつか読んだ。人種差別と性差別の両方の経験を書いている、ベル・フックス。どちらも同じ構造なんだとしたら、あまり書かれる意味はないのかもしれないが、そこに相互作用が働いて、黒人の女性というのは、二重に掛け算でもされたようにとてつもない苦境にいなければいけないのだ、という論点が、これはしっかり受け止めなければいけない事なのだと思わされた。
2024/01/20
合計: 60 ページ
柄谷行人 『 日本近代文学の起源 』: 4 ページ
ベル・フックス 『 「私は女ではないの?」 』: 56 ページ
『アート・オン・マイ・マインド』の方は、黒人美術のアーティスト論、およびインタビュー集という感じで、この『私は女ではないの?』は、よりさっきの論点が正面から捉えられている、いわばデビュー作のようなもの、なんと気楽な言い方だろう……。
2024/01/19
合計: 84 ページ
スピノザ 『 知性改善論 』: 70 ページ
ドゥルーズ 『 スピノザ 』: 6 ページ
柄谷行人 『 日本近代文学の起源 』: 8 ページ
先に『知性改善論」、スピノザのキャリアの比較的最初の方の、短く中断された本、これを読んだのだが、読み進めている時にはまだどんな立場の本なのかわかっていなかったかもしれない。スピノザの動きの何が新しかったのか、何を生み出していたのかは、やはりドゥルーズの『スピノザ』を読んでからわかった。
2024/01/01
合計: 10 ページ
イマヌエル・カント 『 純粋理性批判 上 』: 10 ページ
今年初めの読書。
2024/12/31
合計: 70 ページ
夏目漱石 『 文学論 上 』: 24 ページ
中上健次 『 中上健次集 一 岬、十九歳の地図、他十三篇 』: 46 ページ
今年最後の読書。
この後も読むかもしれないが、来年の分として、読書データを引き継ぐ作業をしなければいけないので、あとは来年分としてカウントする。
以上が、今年の読書の全貌だった。
三十七冊読み、読みかけの本が二十冊。
合計で11210ページ。
目標は六十冊だった。半分を少し超えたくらいだった。
来年こそはいけるんじゃないかと思っている。