【60分エッセイ】 そこに愛はあるんか?
アドバイスをしたがる人って多い。
まあ、あたしのことなんだけど。
仕事の時もそうだし、アルバイトの時もそう。
「よかれと思って」言ってしまうんだよね。
とはいえ、いつもヘラヘラしてるあたしも、先輩や上司からたくさんのアドバイスをもらってきた。「こうした方がいい」とか「ここがダメだ」とか、「もっと出来るはずだ」とかとか。具体的なアドバイスもあれば、抽象的なものもある。
あたしの基本姿勢としては、受け入れて改善しようとする。
でも、中には、まったくの外部の人に意見されることもあるんだよね。
仕事とか、恋愛とか、人間関係の話をしてる時にもあるでしょう?
中身や過程をなにも知らないのに「個人的な感想」をぶつけてくることって。
あたしはこう思う、とかね。本人に悪気がないことは分かってる。
むしろ“善意”を抱いていると思う。
「よかれと思って」アドバイスをしてくれているのだ。
それが2、3人でも同じ意見が揃ってしまった時は恐ろしい。
あたかも「国民の総意」的な正義感までみなぎっている。
「ぼくもそう思う」とか「あたしも思った」みたいな天丼アドバイス。
あるよねえ。なんか、自分が悪者になった気分になってしまうんだよね。
そんな時、あたしは、いつも悩んでしまうんだ。
アドバイスにも色々な種類がある気がしている。
うまく細分化は出来ていないんだけど、取り入れた方がいい意見もあれば、無視した方がいい意見だってあると思うんだ。
「よかれと思って」言ってくれてるんだから、全部を取り入れた方が自分にとってプラスになるだろう、と思ったこともある。でも、それって結構むずかしいんだね。
なにごとも表裏一体で、
一長一短であることを、
心に留めておかなければならないと思う。
誰かにとって心地いいものが、
全てにおいて心地いいわけではないんだよ。
反対も然りで。
誰かにとって不快なものが、
全てにおいて不快なわけではないんだよね。
でも、人の社会ってそんなものかもしれない。
じゃあ、そんな社会で生きていく上で、あたしは、なにを基準に選択を重ねていかなければならないのか。そんなことを考えてしまうんだけどさ!
今、思っているのが、
相手の言葉の中にある
「愛のある部分だけ」を抽出するってこと。
愛とは、なんなのか!?
という面倒な話になってしまうけど。
あたしの中には、なんとなくの定義がある。
それは、
・相手の幸福を願うこと
・自分に見返りが発生しないこと
この二つが揃っていること。
詳しくは省きます!!!
長くなるから!!!
すっごい難しいこと書いている気がする。タイプが進まない。
本当に説明が難しいんだけど「世間のニーズがどうだから」みたいなアドバイスって、一見、愛があるように見える。でも、あたしは《そこに愛はあるんか?》って思っちゃう。大地真央さんのセリフが脳内再生される。
世間のニーズに応えることによって、人は輝くかもしれない。
もしかしたらお金だって稼げるようになるかもしれない。
でも、それが幸福に繋がるとは限らないんだよね!
自分の気持ちにフタをして、世間のニーズに応え続けて、心を潰してしまうこともあると思うんです。そんなことを考えてしまう。
だからこそ
「損得勘定」の含まれたアドバイスは、なるべく避けるようにしてるんだ。
もっと、踏み込んだ「愛の部分」を抽出したいと思ってる。
あたしは高尚な人間でもないし、どちらかというと欲まみれのタイプだから、難しいんだけど。心構えとしては、そんなことを思ってる。
愛、って言葉を使うと重たいけど、実際はもっと気楽に考えているよ。
「ワクワクした部分」とか、「納得した部分」ってことでいいと思ってる。
十人十色だからね。
人それぞれの意見があるんだから。全部なんて聞けないよ。
自分が意見するときも、気をつけないといけないなあ、と思ってる。
書いてて疲れちゃった! あはは!
抽出力を、もっと磨きたいなあ!
今日、60分も書いちゃった!
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