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「洋灯」 横光利一 を読んで。(青空文庫コラム)
(あらすじ)
このごろ、停電が多く夜が暗い。
知人がランプをくれた。
それを見ていると、祖父の葬式や四人の叔母のことなどが思い出される。
(感想)
主人公は、彼の父が外国へ働きへ行くので、母の故郷で母子で暮らすことになった。そこは農村であり、(おそらく)電気がなく、どの家にもランプが用意してあったのです。
そこで暮らした三年間は、主人公には忘れ難い。
そのあたりに住んでいる四人の叔母たちがどんなふうに周りから思われていて、実際に接するとどうであったか、大人になった彼は精妙に覚えていた。
親戚の誰も彼女に頭が上がらず、その才知でみんなの問題を解決する1番上の大叔母。嫌われ者だったけど、それは駆け落ちをしたからで、その心根はとても優しい2番目の叔母。裸で掃除をしていて誰かに見られても平気な男まさりな3番目の叔母は、自分の夫を叱りつけてばかりで。4番目の叔母は笑顔を絶やさず、自分の持ち物の何でも人にくれて、誰からも好かれていた。
その思い出はまず二つの死の記憶から始まるものだった。
父は鉄砲を持ち山へ行く。主人公は、それについて行きました。彼がその父の狩りについて行ったのは一度きりであり、そこで氷の中に落ちてしまったのです。
そしてもうひとつは、祖父の葬式。
下記のようなお話しをみなさんはどこかで聞いたことがあると思う。
一般に(冠婚葬祭などの)通過儀礼に属するものは、それまでの存在が失われるとともに、新しい存在に生まれかわるという形式をとって、擬死と再生という要素を中心になりたつものと説かれている。
()内、アリサカ補足。
死、その避けられない運命であるものを、彼はまざまざと感じ、「擬死と再生」をおこなったのではないでしょうか。
父が仕事で長くいなくなり(狩りで死を思い知らされ)、農村に引っ越してすぐに祖父の葬式を目の当たりにしたこと。それは、都会という世界は死に、農村に再生したことだった。彼は、通過儀礼を行い、叔母たちを人間とはどういうものか、という客観視点で見ることにより、幼さから、ひとつ大人になったのではないか。
人は自分の成長を誇らしく思うものです。とりわけ子どもなら尚更。
だから、とても、良い思い出として、それはある。自分に確かな意味を感じた最初の時代なのだと思うのです。