見出し画像

テクノロジーに抱かれる新・野蛮人




労働と仕事


 アーレントは労働と仕事を区別する。労働は、人間の肉体の生物学的過程に対応する活動である。この活動が行われるための人間の条件は、人間の生命である。労働は、生命維持のための生活必需品を生産し、個人としての人間と種としての人間の両方の存続を保証する。

 それに対して、仕事は、人間の存在の非自然的な側面に対応する活動である。この活動が行われるための人間の条件は、自然とは区別された世界の存在である。仕事は、人間を取り巻く自然の環境とは異なる「人工的」な物の世界を作り出し、束の間しかこの世界に留まることができない人間の生を、永続的で耐久力あるものにする手段を与える。




オートメーション化された労働=自然


 仕事が専門化という形でその過程をますます細分化させるものだとしたら、労働は分業という形でその過程をますます断片化させていく。その際、仕事によって作成された道具や機械が、労働に従事する人間の生産力を増大させるという役割を果たす。

 道具や機械の助力によってますますマニュアル化・機械化されていく労働過程は、あたかも生命プロセスに似てくるという。なぜなら、もっぱら人間の生命の維持に従事するだけの労働には明確な始まりや終わりが無く、増減と減少の循環を無限に反復するプロセスであるが、植物や種としての生物の世界こそ、まさにそうした、無限に反復するプロセスだからである。個体としての動植物や個人としての生命には始まりや終わりがあるが、種全体・生命全体にはそれが無く、そこでは全てが流動的であり、生命プロセス以外に一定期間存続するものが何も無い。

オートメーションがもたらす危険は、しばしば問題にされるように自然の生命が機械化されてしまうことではない。むしろ、そうした人工的な性格にもかかわらず、あらゆる人間の生産力が巨大な生命過程に吸収されて、何の苦痛も労苦もともなわずに自然の永久的な循環を繰り返すことになるということに将来の危険は潜んでいる。機械のリズムは生命の自然のリズムを途方もなく拡大するが、世界の観点から見れば、事物の耐久性を摩耗させる自然の主要な性質を変えないどころか、そうした傾向を極限まで突きつめるだけだろう。

ハンナ・アーレント『人間の条件』牧野雅彦訳、講談社学術文庫2022年、p.205-206


 現在社会における労働の自動化の際たる例はAIによるものだろうが、確かに、オートメーション化した労働と生命プロセスとの間の類似点を指摘するアーレントの指摘には説得力を感じる。AIを用いてタスクを行ったり、AIが作成した文章や映像を眺めるにつけて、あたかも私たちはそこで、機械や人工物ではなく何か生命体めいたものと向かい合っているかのような錯覚を受ける。自分たちはAIという機械を用いて何かを生産しているというよりも、AIという意志を持った他者、あるいは何かしらの自動で成長・増殖していく自然に相対しているかのようである。



AIという自然に囲まれる野蛮人


 落合陽一は高度に自動化された計算機は自然と区別がつかないと話していたが、AIという技術がさらに加速度的に高度化・自動化していけば、もはや人間からの一切の指示や点検を受けることなく自己増殖していくAIが生まれる可能性は高まっていくだろう。AIのそうした発展が私たちの目にどう映るかは想像もできないが、そうしたAIが絶えず流動的に変化し続ける生命体のように映ることだけは間違いないだろう。もし、そのような生命プロセスとしてのAIに生殺与奪の権を人間が与えてしまえば、その倫理的問題点を度外視したとしても、人間性から野蛮への回帰となるのは避けられないのではないか。

 そもそも、有史以前、人間は常に自然という生命プロセスに囲まれていた。この生命プロセスにおいては始まりも終わりも無く、全てが無限に循環するため、永続的なものは何も無かった。絶えず流動する自然の影響から逃れるため、人は土を耕し農耕地に変え、荒野に建造物を作り上げた。つまり、仕事という活動とそれによって生み出された道具を用いることで、無限に生成消滅する自然の中に、一定以上持続する世界という足場を築いたのである。そして、自然とは異なる世界というものこそ、私たちに「客観的」な対象として現れてきたものなのである。

言い換えれば、人間の主体性に対抗しているのは、人間がみずから作り出した世界の客観性であって、無垢な自然の崇高な無関心さなどではないのである。むしろ反対に、自然はその根源的な力をもって人間を圧倒し、生物学的な循環運動は人間を容赦なく翻弄する。その循環は、すべてを包括する自然環境そのものの循環と密接に結びつけられている。自然が与えてくれた事物から世界を客観的な対象として建設したわれわれ人間だけが、周囲の自然から自分を守るために世界を建設した人間だけが、自然を何か「客観的」な対象として見ることができるのである。人間と自然の間に世界が介在しなければ、そこには永遠の運動はあっても、客観的なものは存在しない。

ハンナ・アーレント『人間の条件』牧野雅彦訳、講談社学術文庫2022年、p.253-254


 労働過程がオートメーション化によって解き放たれ、さらにそれがAIやその他の技術によって極限まで加速された場合、生命プロセスに従事する労働という活動は完全に世界を覆うことになるだろう。そして、無限に自己増殖していくAIやAIによって生み出される生産物を、私たちが社会や国家の原理とした場合、生命プロセスが世界やその客観性を食いつぶしてしまうことになりかねない。たとえそうしたシナリオが、どれだけ華やかでけばけばしい外観を見せようと、野蛮への回帰には違いない。それも、皮肉なことに、超高度の技術によって引き起こされる野蛮への回帰に。色とりどりの計算機自然の中で、新しい原始人である私たちは、世界とそれがもたらしてくれていた「客観性」を喪失していくだろう。

いいなと思ったら応援しよう!