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不登校の親心、ゆれる気持ちと信じる気持ち

今日も、学校に行けなかった

いや

行かないと選択した息子との家時間

ゆったりと楽しそうに本読んでる傍らで、

私はイヤホンをつけて、

Mamacafeの石田先生のオンラインサロンのアーカイブを聞く

いろんなママさんの悩み相談に答える石田先生

聞いているとホッとできるから心からありがたい

わが家の息子

小学校、中学校ともしかしたら学校は行きづらいかもしれないし、不登校はつづくかもしれない。けれど、好きなことを見つけたら大学に行くかもしれないし、そういう道じゃなくても、どうにかなる気がする。

だって、家ではこんなにイキイキしているし、いい顔してる

わたしが心から「この子はきっと大丈夫なんだ」と思えていたら、それでいいじゃないか。


大人になるにつれ、彼もいろいろ考えるだろうし、

彼の人生、自分で切り開いていってくれるだろう。


息子は、今日の宿題だと思われるところ(算数も漢字ノートも前回の宿題の次のページ)を、朝1で矢のような速さで終わらせてた。

そこから、好きに過ごしている。

昼はざるラーメン食べてうれしそう。


わたしも今日はパートも休み。在宅ワークも今日は休み。
こうやってnoteも書けて、しあわせだ。


まだ、たまにわたし自身も揺れるけど。


心配が大きくなって、大丈夫って言ってるけどほんとにいいの?と思う時もある。

でも、それって自然な感情と客観的にながめてみる。


わたしは、日本に生きていて、小学校中学校、高校、大学、就職と、いわゆる普通に生きてきた。息子以外のクラスの子は今日も小学校で勉強をしている。小学校に行っていない息子のことが心配になるのもある意味当然だし、しょうがない。


でも、だからって、その通りの道にいくことが、息子のしあわせにつながらない場合もあるということも気づいてきた。


これは、精神の修行かな。

アドラー心理学の実践。

課題の分離

まさにそれかも。

そんなことも考えながら、今日ももう夕飯の時間だ。

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