「四畳半タイムマシンブルース」森見登美彦
「堀北ってなんのシャンプー使ってるんだ?」
「えっ……」
蓮太郎の唐突な質問に、明日葉は怪訝な顔をした。隣に座る蓮太郎から、明日葉は微妙に距離をとる。
「なに、あたしの髪の匂い、嗅いでたの……?」
「は? い、いや、嗅いでないぞ!? ただ聞きたかっただけなんだよ」
「へえ……、なにを?」
「ヴィダルサスーン、使ってるのかなって」
「ああ、そういうこと……。深山くんも読んだんだね、『四畳半タイムマシンブルース』」
「……これだけで察してくれるあたり、堀北ってやっぱ相当本読んでるよな……」
ほとんど阿吽の呼吸で察する明日葉に、蓮太郎は苦笑した。ヴィダルサスーンとは、森見登美彦の『四畳半タイムマシンブルース』でひとつのキーアイテムとして登場するシャンプーのブランドなのだ。
「あの本、面白いよね。森見登美彦の『四畳半神話体系』のキャラクターが、有名な演劇、『サマータイムマシン・ブルース』のストーリーを辿る、っていうコラボみたいな本だもんね」
そう。この本は、森見登美彦のヒット作、『四畳半神話体系』のスピンオフ的作品でありながら、上田誠の戯曲、『サマータイムマシン・ブルース』をリスペクトした作品でもあるのだ。
「俺、実は『サマータイムマシン・ブルース』はあんまり知らないまま読んだんだけど、堀北はどうなんだ?」
「あたしは映画の『サマータイムマシン・ブルース』は見てから読んだよ。それこそ、壊れたエアコンのリモコンを取りにタイムマシンで過去へ戻る、ってところから、ほとんどのイベントは『サマータイムマシン・ブルース』と同じだけど、それを『四畳半』のクセの強いキャラクターたちがやるからもっと面白く感じたな」
「それは俺も思ったよ。『四畳半神話体系』の続編としても面白い作品だったよな」
『四畳半』は、簡潔に言えば、冴えない大学生の主人公が悪友に振り回されながら、恋焦がれる黒髪の乙女とお近づきになろうとする話。
そんな甘酸っぱい青春作品でありながら、実は彼は、どんなサークルを選ぶ世界線であっても、同じように悪友とトラブルだらけの学生生活を送っている……、というSFチックな作品でもある。
「でもあの本、すごく不思議な作品だよな。だってさ、普通は『自分がどんな道を選ぶかで未来は変わる』ってことを書いた作品が多いだろ? でもこの本は逆じゃないか?」
「そういえばそうだね。『実は未来ってそんなに変えられないんだよ』って話だもんね」
「ああ。それってどっちかって言えば、あんまり希望には聞こえないだろ? それで面白くて、幸せな作品に感じるのはなんでなんだろうな……」
蓮太郎はしみじみと腕組みした。明日葉はそんな蓮太郎に、くすりと笑いかける。
「……たぶん現実でも、本当に変わらないからじゃないかな」
「え?」
蓮太郎は神妙な顔で明日葉の顔を覗き込む。
「……確かに、どんな道を選ぶかで、未来は変わっちゃう。でもさ、あたし、『大切な人』って、どんな未来になってもいつか出会うようになってる、って思うの」
「……どうしてだ?」
蓮太郎は訊ねる。その問いかけに、明日葉は歯を見せて笑った。
「だって、そのほうが素敵だと思わない?」
それは、一点の曇りもない、晴れやかな笑みだった。
「きっと人との繋がりって、人生の小さな選択肢を選ぶかどうかなんかで簡単に消えちゃうようなものじゃないんだよ。自分がいま大切にしてる友達は、どんな世界でも仲良くなる運命にある友達なんだって思うとさ、すごく大切にしたいなって思えるでしょう? あたしはそう思いたいな。深山くんはどうかな?」
「……………………。」
明日葉に問いかけられても、押し黙ったままの蓮太郎。
「…………えーと、深山くん?」
「……ああ、ごめん。確かに、素敵だな」
「ね、でしょ?」
嬉しそうにする明日葉に、蓮太郎もまた、晴れやかな笑みで応えた。
「ああ。その考えも、そう考えた堀北自身も、とても素敵だなって思う。堀北とこうして話せるようになったことも運命だったんだとしたら、俺は本当に嬉しいよ」
「……………へ、っ?」
明日葉の頬がわずかに赤く染まった。彼女はすぐさま、ふい、と顔を逸らす。そんなことはまったく気にせず、蓮太郎はしきりに頷いた。
「いやー、にしても、そう考えたら、俺もいつか大切に思える人なんかも、もしかするともう出逢ってるのかもしれないな……。どうだろ、俺、高校で女子と本当に接点ないんだけどな……」
冗談まじりにくだらないことを唸る蓮太郎に、明日葉が顔を背けたまま、ぽつりと呟いた。
「……案外、意外と近くにいたりするんじゃない?」
「いや、だからその近くに誰もいないんだよな……」
「……深山くんって、もしかして実はそんなに賢くない?」
「なんで急にそんなこと言うんだ!?」
わめく蓮太郎に、明日葉は笑って誤魔化すのだった。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?