飴ちゃん
職場の同僚にいつも飴をくれる女性がいる。
甘いものはあまり好きではないし、努力をしているわけではないが、体型もある程度は維持したいのでなるべく糖質は控えたい。
右ポケットに飴をしまう。
何気ない日常のやりとりと思いながらも、私はふと考えた。
「なんであの人はいつも飴くれるのかな?」
逆の立場だったらどうだろう。
私が飴をあげる相手は誰なんだろう。
そう、飴をあげたいと思える相手。
なるほど、、私は鈍感だった。
気を許してくれている相手。
一緒に仕事がしたいと思える相手。
仲間と思える相手。
少なからず、本当に「無理」な人には「飴をあげる」という行為には至らないだろう。
たかが飴。
単価の低い飴。
別に食べたくもない飴。
ポケットの邪魔をする飴。
───そうではないのだ。
これは言わば私と同僚の友好条約。
「私はあなたの味方ですよ」という尊いメッセージなのだ。米国は北朝鮮に飴はあげない。逆も然り。どちらかが「飴」をあげたら世界的な一大事となるだろう。
なんということだ、、。
そこにあるのは飴そのものの価値ではなく、飴をあげるという行為に意味があったのだ。
今日も女性は飴をくれた。
「はい、どうぞ♪」
「ありがとうございます♪」
いつもより朗らかな表情だったことに気づかれたかもしれない。照れ隠しともとれる速さで包装紙をとき、飴を口に入れた。
マスカットの香りが優しく口の中で広がっていった。