JW429 日前宮引越物語
【崇神経綸編】エピソード4 日前宮引越物語
第十代天皇、崇神天皇(すじんてんのう)の御世。
紀元前47年、皇紀614年(崇神天皇51)4月8日。
天照大神(あまてらすおおみかみ)(以下、アマ)の新たな鎮座地(ちんざち)を求める旅が再開した。
御杖代(みつえしろ)の豊鍬入姫(とよすきいりひめ)(以下、きぃ)は、木国(き・のくに:現在の和歌山県)にて、奈久佐浜宮(なぐさの・はまのみや)の解説をおこなう。
そして、濱宮(はまのみや)と日前宮(にちぜんぐう)の関係性が語られるのであった。
解説に加わるのは「きぃ」の母、遠津年魚眼眼妙媛(とおつあゆめまぐわしひめ)(以下、アユ)。
「アユ」の従兄弟で、木国造(き・のくに・のみやつこ)の大名草彦(おおなくさひこ)(以下、草彦)。
草彦の息子、菟道彦(うぢひこ)(以下、うぢお)。
草彦の娘、影媛(かげひめ)である。
うぢお「濱宮が創建された折に『アマ』様と共に、二つの鏡が祀(まつ)られたと?」
アマ「その通りじゃ。その後・・・あっ・・・。」
きぃ「ん? アマ様? 如何(いかが)なされました?」
アマ「フ・・・フライングになるのじゃが、わらわは、その後、別の地に遷(うつ)るのじゃ。」
アユ「はぁぁ? 何、言ってんのよ! なんで、遷っちゃうのよ!」
アマ「し・・・仕方なかろう! とにかく、わらわが、いなくなった後も、二つの鏡、日像鏡(ひがた・のかがみ)と日矛鏡(ひぼこ・のかがみ)は、濱宮で祀られておったのじゃ。」
草彦「して、濱宮の地から、二千年後の和歌山市秋月(あきづき)に遷(うつ)ったのは、いつのことにござりまするか?」
アマ「紀元前14年、皇紀647年(垂仁天皇16)のことじゃ。水害に遭(あ)ったゆえ、秋月に遷ることとなったのじゃ。」
影媛「されど、濱宮は無くなっておりませぬよ? 二千年後も、和歌山市の毛見(けみ)に鎮座(ちんざ)しているのですよね? これは、どういうことにござりまするか?」
アマ「よ・・・よく分からぬが、濱宮も再建されたということであろうな。」
アユ「まあ、とにかく、しばらくは『アマ』様を木国で祀ることになるわけね。」
アマ「そういうことじゃ。よろしく頼むぞ。」
草彦「では、神に仕(つか)える『きぃ』ちゃんのために、御田(みた)を献上致しましょうぞ。この田から採れる米を『アマ』様に捧げなさいませ。」
きぃ「伯父上・・・。かたじけのうございます。」
草彦「それだけではないぞ。汝(いまし)に仕える舎人(とねり)の紀麻呂良(き・の・まろら)も献上致しましょう。『マロロ』と呼んでやってくださりませ。」
マロロ「いかにも、それがしが『マロロ』にござる。舎人とは、使用人のようなモノ。なんでも仰(おお)せくださりませ。『きぃ』様の命とあらば、火の中、水の中、どこにでも参りまするぞ!」
きぃ「かたじけのうございます。『マロロ』殿、よろしく御願い致しまする。」
うぢお「こうして『アマ』様が祀られることになってから、木国では、争いが収まり、治安が良くなり、人々は豊かとなって栄えたのじゃ。」
アマ「ありがたく思うが良いぞ!」
とにもかくにも「アマ」様は、木国に鎮座することになったのであった。
つづく