JW191 伊弉冉陵参拝
【孝霊天皇編】エピソード46 伊弉冉陵参拝
第七代天皇、孝霊天皇(こうれいてんのう)の御世。
すなわち、紀元前220年、皇紀441年(孝霊天皇71)4月21日、大后(おおきさき)の細媛(くわしひめ)(以下、細(ほそ))が薨去(こうきょ)した。
伝承では語られていないが、その報せは、ヤマトにも届いたはずである。
母の死を知り、日嗣皇子(ひつぎのみこ)の大日本根子彦国牽尊(おおやまとねこひこくにくる・のみこと)(以下、ニクル)は衝撃を受けるのであった。
ニクル「なんと・・・。妹(福姫のこと)に続いて、母上までも・・・(´;ω;`)ウッ…。」
大臣(おおおみ)の物部出石心(もののべ・の・いずしごころ)(以下、いずっち)が、苦悶の色を浮かべる。
いずっち「こないなことになるとは・・・。」
ニクル「生きて再び、母上に、お会いすることは叶わぬのじゃな・・・。妹に至っては、会うことさえ叶わず・・・。」
いずっち「悲しいことやで・・・(´;ω;`)ウッ…。それに、大后が伯伎(ほうき:現在の鳥取県西部)で、お隠れあそばされるやなんて、『記紀(きき)』には、一切書かれてまへんで!」
ニクル「そうじゃのう・・・。それに、福姫も伝承のみの登場じゃ。にも関わらず、なにゆえ、伝承において、我(われ)の悲しみが語れておらぬのじゃ?」
いずっち「そう言われてみたら・・・。せやけど、この物語で、ようやく心情を吐露(とろ)できたやないですか・・・(´;ω;`)ウッ…。」
ニクル「たしかに・・・。この物語に感謝せねばのう・・・(´;ω;`)ウッ…。」
ニクルが悲しみに暮れていた頃、伯伎の地では、鬼林山(きりんざん)の青鬼(あおおに)、赤鬼(あかおに)との最終決戦がおこなわれようとしていた。
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