JW174 母の想い
【孝霊天皇編】エピソード29 母の想い
第七代天皇、孝霊天皇(こうれいてんのう)の御世。
すなわち、紀元前246年、皇紀415年(孝霊天皇45)。
ここは黒田廬戸宮(くろだの・いおど・のみや)。
現在の鳥取県西部に位置する、伯伎国(ほうき・のくに)に蔓延(はびこ)る賊の鎮定(ちんてい)について、ヤマトは騒然としていた。
そんなある日の夜。
孝霊天皇こと、大日本根子彦太瓊尊(おおやまとねこひこふとに・のみこと)(以下、笹福(ささふく))は、苦悶の表情を浮かべていた。
隣に侍(はべ)るのは、大后(おおきさき)の細媛(くわしひめ)(以下、細(ほそ))である。
細「わらわは、賛同できかねます。」
笹福「伝承に無いことを申すな。もう決まったことなのじゃ。」
細「大王(おおきみ)は正気ですか? わらわは、身重(みおも)なのですよ。これから産まれて来る子が、気にかからないのですか?」
笹福「気にかからぬなど・・・。戯(たわ)けたことを・・・。」
細「では、他の者を赴かせれば良いではありませんか!?」
笹福「そう申すな。此度(こたび)の戦(いくさ)は、ただの賊鎮定ではないのじゃ。下手(へた)をすれば、秋津洲(あきつしま)の存亡に関わるやもしれぬ、一大事なのじゃ。」
細「そう申されながら、まことのところは、朝妻(あさづま)殿に会いたい一心なのでは?」
笹福「なっ! 何を申すか! 我(われ)の遠征は、私情であると申すか?!」
細「そう受け止められても仕方がないのでは? エピソード148以来、伯伎国(ほうき・のくに)で別れた朝妻姫とは離れ離れ。会いたいと思っておられるのでは?」
笹福「べ・・・別に会いたいなどと・・・。これは、国のためであってな・・・。」
細「国のためとはいえ、身重の妻を置いて、赴かねばならぬことでしょうか?」
笹福「・・・・・・。」
するとそこに、笹福と朝妻姫の子、鶯王(うぐいすおう)がやって来た。
鶯王「大王。鶯王、ただいま罷(まか)り越しもうした。」
笹福「おお、鶯王か。されど、我(われ)は呼んでおらぬぞ。」
鶯王「はっ?」
細「わらわが呼んだのです。」
笹福「なに?」
細「鶯王殿こそ、此度(こたび)の遠征に赴く者として適任だと思いましたので・・・。」
鶯王「わ(私)が適任であると?」
細「鶯王殿は伯伎の生まれ。地の理も明るく、人の和を得たも同然。それに、この機を逃しては、もう二度と、母上殿にお会いすることは叶わぬでしょう。」
鶯王「は・・・母上様・・・。」
笹福「汝(いまし)に言われずとも、鶯王は連れてゆくつもりであった。」
細「親子水いらず・・・ということですか?」
笹福「なにゆえ、そう考える?! 此度の遠征は私情にあらず! そう申しておるではないか!」
鶯王「大王。大后は身重にござりますれば、此度の遠征は、わ(私)が請け負いましょう。大王は、大后が無事に子をお産みになられてからでも、よろしいのでは?」
細「鶯王殿も、そう思いますよね?」
笹福「鶯王。ただの賊鎮定なら、それでも良い。されどな・・・。此度は、月支国(げっしこく)という異国(とつくに)との戦(いくさ)が控えておるのじゃ。」
鶯王「左様ではござりまするが・・・。」
笹福「出雲君(いずものきみ)が兵を率いる場に、ヤマトの君が居らぬでは、我が国の体面に関わるであろう?」
鶯王「それを笑う者には、笑わせておけばよろしゅうござる。それよりも肝要(かんよう)なのは、民(おおみたから)を安んじめること・・・。」
笹福「汝(いまし)の申すことも一理有る。されどな、それでは、豪族たちが納得せぬのじゃ。」
鶯王「ご・・・豪族たちにござりまするか?」
笹福「豪族たちに兵を出せと命じておきながら、我(われ)は子供が気になるゆえ、ヤマトに留まると申せば、二度と、命(めい)に従わぬであろう。」
鶯王「大王とは、そこまで考えねばならぬものなのですか?」
笹福「そういうことじゃ。それゆえ、細(ほそ)よ。汝(いまし)が気がかりではないと、そのようなこと考えてくれるな。我(われ)は、いつでも汝のことを想うておる。」
細「かしこまりました。そこまで申されるのなら、これ以上、何も申しません。ただ・・・。」
笹福「ただ・・・何じゃ?」
細「産まれて来る子の名を、お決めください。」
笹福「次に産まれて来る子の名か・・・・・・。よし。名は『福(ふく)』じゃ。」
細「福?」
笹福「我(わ)が名の『福』でもあるし、此度の戦が、つつがなく済むようにとの想いも込めた。」
鶯王「そのようなこと、伝承では一言も・・・。」
笹福「良いのじゃ。それで良いのじゃ。」
細「かたじけのうございます。それでは、わらわは、福と一緒に、お帰りをお待ちしております。」
笹福「うむ。元気な子を産んでくれい。」
細「それから、鶯王殿。鎮定の合間をぬって、母上殿に、お会いするのですよ。」
鶯王「母上様。お気持ち嬉しゅうござりまするが、私情を挟むわけには参りもうさず。賊の鎮定が、つつがなく済みもうして、近くを通ることあらば、そのように致しまする。」
細「なりません! 必ず、お会いするのです!」
笹福「なにゆえ、そこまで申すのじゃ?」
細「大王も鶯王殿も、母ではないゆえ、分からぬのです。」
笹福・鶯王「母ではない?」×2
細「大王の母御前(ははごぜ)。押媛(おしひめ)様だったか、長媛(ながひめ)様だったか、五十坂媛(いさかひめ)様だったか、誰かは覚えておりませんが、大王と義兄上(あにうえ)殿が、伯伎に赴かれた折、気が気でならなかったと申しておられました。朝妻殿も、同じ想いのはず・・・。」
笹福「左様か・・・。皇太后(おおき・おおきさき)が・・・。」
こうして、家族の夜は更けていったのであった。
つづく