オススメの社寺② 『古事記』 太安萬侶ゆかりの多(おお)神社
昭和54年1月、奈良市此瀬の里の茶畑から 太安萬侶の墓が発見され、マスコミ各社は一斉に世紀の大発見と報じました。
〝記紀〟に批判的な戦後の歴史学者の中には実在を疑問視する者もいましたが、この発見によって実在が証明されました。
おそらく、実在しないとか、古事記は偽書だとか、いろいろ言われて我慢ならなかったのでしょうね。「好き勝手言ってんじゃねー!」とまぁ、怒り心頭で出てこられたんだと思います😊
橿原考古学研究所のYouTube
今回はその太安萬侶ゆかりの多神社をご紹介します。
神武天皇の皇子 神八井耳命がこの地で神祇を祭ったのが始まりとする大変古い歴史のある神社です。神社周辺の遺跡からは弥生時代以来の土器が多数出土しますが、特筆すべきはその大半が生活用ではなく祭祀用の土器であるという事です。この地は奈良盆地のヘソと言われ、東の三輪山、西の二上山を結ぶ直線上に位置し、農耕に必要な太陽の運行を知るのに最適の場所であったのだろうと思います。
笠縫邑伝承
第十代 崇神天皇の御代、それまで天皇の御殿内にお祀りしていた天照大神を豊鍬入姫命に託して大和の笠縫邑に祀ったと『日本書紀』は記します。伝承地はいくつかありますが、多神社北北西の位置に笠縫邑の伝承があります。とくに何かがあるわけではありませんが、川の土手の桜がきれいなので、これからの季節、古のロマンを感じながら、のどかなこの地を散策するのもよいですね。
太安萬侶は、多神社の向かいにある境外摂社 小社神社に祀られています。そして平成24年(2012年)には古事記献上1300年記念碑が建てられ、そこには出土した遺骨の一部を分骨して埋葬してあります。
安萬侶の父 多品治は、壬申の乱でいち早く美濃の兵を挙兵させて不破道を塞ぐ大功をたてました。
もちろん、わずか4ヶ月で『古事記』をまとめあげた本人の才能あってのことですが、必ずしも身分が高いわけではない安萬侶が任命されたのは、父品治の忠誠を知る天皇の信任があってのことだったかも知れませんね。
よろしければ、前回紹介した 稗田阿礼を祀る賣太神社もあわせてご覧ください。
シリーズ【いっしょに〝記紀〟を旅しよう!】で、『古事記』『日本書紀』に記される地を巡っています。興味がある方はフォローよろしくお願いします。