天童よしみに会いたがっている迷子のおばさまを助ける話。
私は北海道の札幌市に住んでいて、
仕事も札幌市内でしている30代の会社員だ。
昨日、札幌市内の中心部をテクテクと移動して、創世スクエアというオフィスビルに入った。
創世スクエアにはいろんな企業がテナントとして入っていて、札幌市内ではそこそこに大きなビルだ。このビルには市民図書館とコンサートホールが入っており、札幌の文化発信の拠点という側面も持っていて、なにかイベントがあると人でごった返す。私立大学の卒業式も行われるようなビルである。
このビルに入り、エスカレータに乗って下の階に行こうと思った時だった。
一人のおばさまが私の視界に入ってきた。
エスカレーターに乗るかどうか迷って、一人で周りをキョロキョロと見まわしている70代くらいのおばさま。普通、エスカレーターに乗るときって迷わないじゃないですか。みんながみんな上か下に黙って運ばれようと、ささっと乗るのが普通でしょ。でもそのおばさまは明らかに何かに迷っていた。
だから、声をかけてみたんだ。
困ったときはお互い様だし。
「あの、お困りですか?」
おばさまはソワソワしながら答えた。
「あ、あの…今日ここでコンサートがあるはずなんですが、会場への行き方はこっちで合ってるのか心配で…」
身長は150cmくらい、黒髪ショートでご高齢の方特有の少しパサっとした髪質のおばさまは、明らかに困った顔でそう尋ねてきた。
「何時からのコンサートですか?」
「14時からなんです」
腕時計を見ると、時刻は13:05だった。創生スクエアでなんらかのコンサートがあるなら、この時間でも人でごった返しているはず。ところが、そのような人はこのおばさま以外にいなかった。
「イベントスケジュールを見てみましょうか」
「あ、そんなのが…」
「ここでは今日何時から何があるか、電光掲示板に表示されてるんですよ。ちょっと見てみましょうか」
「あぁ、ありがとうございます」
「ちなみにどなたのコンサートなんですか?」
「て、天童よしみです」
ビックネームが飛び出してきた。
天童よしみ。天才演歌歌手。
「天童よしみですか!」
「は、はい、今日ここで14時からコンサートがあるので少し早めに来たんですけど、私のようなオバタリアンがいなくていなくて」
オバタリアン…。
たしかにオバタリアンはいなかった。
電光掲示板を見ると、天童よしみの「て」の字もない。
(ひょっとして今日ではないんじゃ…)
「今日の14時からですもんね?」
「そうです、もう楽しみで楽しみで。でも誰もいなくて」
「それは確かに心配ですね。ちょっと調べてみましょうか」
天童よしみ 札幌 コンサート
手に持っているスマホで検索してみた。
すると出てきた出てきた。
天童よしみのコンサートは確かにこの日の14:00に行われる。もう少しこの画面に目を凝らしてみる。
すると…
会場はカナモトホールだ!!
ここではない!!
天童よしみは創世スクエアにはいない!!
「あ、これ会場はカナモトホールですね!」
「カナモトホール…ここではないんですか?」
「ここではないみたいですね」
「だからオバタリアンがいないんだ!」
カナモトホールは創世スクエアの真向かいにあるイベントホールだ。たしかにこれは間違ってしまってもしょうがない。
「ちょうど私、カナモトホール方面に向かうので、そこの入り口までご案内しますよ」
「え!い、いいんですか!」
「大丈夫ですよ」
「いやぁ捨てる神あれば拾う神ありってこのことだわ。あたしはなんて運がいいのかしら」
捨てられたの?と思いながら、一緒にエスカレーターを下った。なんとしてもこのおばさまを天童よしみに会わせて差し上げたい。カナモトホールまでは信号を1個超えるだけだ。このおばさまのことだから、入り口までたどり着けず悲壮感をまとってまた迷ってしまうかもしれない。だったら送ってあげようじゃないか。
札幌は完全に秋の気配がして、外に出ると日中でもヒンヤリしている。台風が去った後で空は青空が広がっている。
ビルの外に出て一緒に歩きながら「無言でいるのもヘンだな」と思って、天童よしみと、このおばさまの関係について質問してみることにした。
「天童よしみは昔から好きなんですか?」
「そうなんです、もう寝ても覚めても天童よしみで。今はyoutubeでずっと天童よしみを聴いてるんです」
「youtubeで!」
「そうなんです」
「天童よしみのおすすめソングはあるんですか?」
「そりゃあもう、全部です」
私は天童よしみの曲を知らない。
天童よしみが和歌山出身だなんて知らない。
7歳の頃「のど自慢番組」から知名度を上げたことなんて知らない。
デビュー後10年にわたって低迷期があったことなんて知らない。
でも、なぜか天童よしみの身長が150㎝以下であることは知っている。
ただ、どこからあの歌声が出てくるかは知らない。
「天童よしみって意外と背が小さいんですよね」
「そうなんです、私くらいで。本当にすごいですよ」
このおばさまと話していて、北海道の例えば稚内あたりから、はるばる札幌まで来て天童よしみに会いに来てたとしたら、なんだかドラマ性があるなぁと思って、
「今日はどちらから?」
と聞いたみた。
すると、
「あ、すぐそこです」
とすぐそこを指さしてくれた。
このおばさまは札幌市内在住らしい。
そんなうまい話はないよね。
「天童よしみのコンサートは何回目なんですか?」
「…それがこれが初めてで」
「え!初めてですか!だとしたらとても楽しみじゃないですか!」
「そうなんです、今日は朝からソワソワしていて。会場に12:30に来たんですけど、オバタリアンがだーれもいなくて不安で不安で」
「それは不安でしたね」
「えぇ、もうこの年齢になってくると先も短いので、やりたかったことは全部やってみようと思って今日来たんです」
あぁ、なんてことだ。
なんとしても会わせたいじゃないか。
天童よしみと、このおばさまを会わせるべく2人で秋の札幌をテクテクと歩いていたが、すぐにカナモトホールの入り口が見えてきた。きっとオバタリアンが大渋滞を作っているはずだ。
「もうすぐ入口ですよ。きっと同じようにファンの方がいますから」
「い、いますかね…」
「あ、ほら見えてきましたよ」
「あ!!!!」
天童よしみファンの大渋滞である。
天童よしみ、すげぇ…。
「着きました。これだけの行列があればもう迷いませんね」
「あぁ、よかったよかった!」
「天童よしみに会ってきてください」
「えぇ、ありがとうございました!」
おばさまは私に深々とお辞儀をして、行列の最後尾に並んでいった。だから私もお辞儀をした。
「もうこの年齢になってくると先も短いので、やりたかったことは全部やってみようと思って今日来たんです」
あのおばさまにとって天童よしみはどんな存在なんだろうか。神にも近い存在なのかな、とか思いながら、私はなぜだか宮沢賢治の『雨ニモ負ケズ』の一節を思い出す。
札幌に天童よしみに会いたいと言う人がいれば、道案内をしてあげる、そういう者に私はなりたい。
その日の時刻が14時を回ったとき、
「あのおばさまは天童よしみに会えたかしら」
と思いながら、私は札幌の街を歩いた。
街はもう秋になって台風は去り、
すっかり青空が広がっていて気持ちがよかった。