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生命保険は不要だと言う人の9割は、真剣に自分の人生を生きていない。

私の仕事は生命保険外交員だ。

札幌を拠点に活動していて、毎日様々なお客さんにお会いする。保険外交員は世間様から嫌われる職業ではあるが、私個人のこの仕事に対するスタンスを以下の2つの記事にまとめている。


▶︎自分が恋に落ちていることに気づかないお客さんとのエピソード。




▶真剣に語り合える友だちが減ってしまっているお客さんとのエピソード


今記事のタイトルを挑戦的なものにしてしまい申し訳ない。

が、そう思うことがたまにある。普段、生命保険の必要性を感じながら生きている人なんていないから、そういう場合、私は商談の途中であるお話をすることにしている。



今日はそんなことを書いて、私個人の、人生を見つめる「まなざし」を考えてみたい。今から書くことはあくまで個人の意見であって、保険業界の意見を代表するものではない。悪しからず。


▶︎真剣になってもらうために、私はどんな話をするか?


「○○さん、生命保険や医療・がん保険は、大きな病気をした直後だと加入が出来ないということをご存知ですか?」

「あぁ、聞いたことがあります」

そりゃそうだ。明日死ぬと分かっている人が保険に契約した場合、保険会社は即座に保険金を支払わなければならない。

そういったリスクのあるお客様は、そもそも保険に加入することは不可能である。そういうものなのだ。


「では例えばある日、〇〇さんが『なんだか調子が悪いな』と思って病院へ検査しに行ったとします」

「は、はい」

「すぐにそんなことはありませんけどね」

「は、はぁ」

「お医者さんから言われるんです。
 あなた、胃がんですよ、と」

「は、はぁ」

「そんなことはないですけどね」

「ですねぇ」

「お医者さんは続けてこう言います。『胃がんが進行しており、すでに末期です。このままだと、断言は出来ませんが余命は半年です。もちろん治療は出来ますが、出来るだけ家族との時間を大切にするようにしてください』と、こう言われます」

「それはイヤですね」

イヤに決まってる。当たり前だ。

誰だって自分が大病を患って死ぬところなんて想像もしたくないに決まっている。だけど私の仕事は生命保険外交員だからこの話をしなければならない。

それが仕事だし「保険に入っていてよかった」と感謝された経験が何度もあるから。

思うに、必要のないサービスはこの世に存在し続けられない。永続し得ない。裏返せば、生命保険や医療・がん保険は、必要だからこそ存在し続けている。このサービスで救われる人がいるのもまた事実なのだ。


「お医者さんにそう言われて、帰りのエレベーターで5階から1階に移動している時、頭の中は真っ白です。自分死ぬのかな、死にたくないな」

「思うでしょうね」

「思いますね。そして次に頭の中に浮かぶのが何か?」

「なんでしょう?」

「治療費などのお金のことです。
 ワラにもすがる思いかもしれません」

「たしかにそうですね」

「エレベーターが1階に着いて、トボトボ歩いている時、今日、私と話したことを〇〇さんは思い出します。『あ、この前保険屋さんに会った時、大病をすると保険に入れないって言ってたな、私あのとき断ったな。ヤバいじゃん』と、こう思うかもしれません」

「思いますね」

「そんなことを考えて途方に暮れていると、どこからともなく天使みたいな見た目の女の子が、〇〇さんの目の前にフワフワ飛んできて言うわけです」

「え、天使が?なんて?」

「天使は『大丈夫だよ。こんな状況でも今入ってる保険の見直しをしてもいいし、未加入なら新しく保険に入ってもいいんだよ』とこう言います」

「ほう」

「そう言われたとしたらですよ、〇〇さん。今の保険の見直しや、新規で保険に加入することを、ためらったりしますか?」

「いや、しないですね」

「ですね」

「即契約すると思います」

至極当たり前の話である。誰だって自分が大病を患うとは思っていない。「もしも」の話ばかりをして申し訳なさはある。

しかし「もしも」に備えていなかった場合、困るのはお客さん自身であり、その周りの家族である。「独身のうちは保険は不要」という声が聞こえてくることがある。だが果たして本当にそうだろうか?

理論ばかりで感情を蚊帳の外に物事を考えていないだろうか?好みや考え方の問題ではあるが。


「ですよね。私もそうします。だがしかしです。先程お話しした通り、現実世界ではそれは不可能です」

「ですね」

「なのでお願いがあるんです」

「え、な、なんですか?」

「今、私と保険の話をしていますが、〇〇さんには、天使から『見直しOKだよ』と言われた直後に私と会って話をしていると思って、真剣に考えて欲しいんです」

「なるほど」

「ま、そんなことはありませんけどね」

「いやぁ、でも分かりましたよ」

「では、話を進めさせてもらってもよろしいですか?」

「ええ、どうぞ」


多くのお客さんは、この話でスイッチが入る。

起こる可能性が低いのだから、保険にお金を投資するのはバカバカしいという気持ちもわかる。

ただ、今のような話をすると、多くのお客さんは真剣に自分の人生や家族のことを考えてくれる。一緒によくよく考えた結果「保険は不要だった」というケースだってある。逆に、この話をしたとしても真剣に考えずにヘラヘラしたままだったとしたら、私は話を中断して帰る。

こちらが真剣に考えているのだから目の前の人にもそうであって欲しい。これは押し付けだろうか?悩ましい。ただ、真剣に考えてくれたお客さんとの商談が終わった後は、ドッと疲れると同時に妙な高揚感がある。




生命保険外交員は人から嫌われる。
理由はいくつかあると思う。

・単純に怪しい

・手数料で儲けてそう

・死や病気を持ち出してくる

・断ってもしつこそう

・よく分からないまま契約させられる

・特に理由はないが、ただただ不快だ



だが、恐れずハッキリ書く。


こんなイメージを持たれる保険営業マン、あるいは、そういうイメージが少しでもあるお客さんは、共通して真剣度が足りない。人生に対する責任感が足りない。

真剣さ・責任の熱が36.3℃の状態で保険など考えられるはずがない。自分ごとになって、熱が39.7℃の状態になり、差し迫ってはじめて保険は考えることができる。起こっていないことを想像できるのが良くも悪くも私たちホモ・サピエンスの特権である。

すなわち、保険業界の負のイメージは、お客さんを真剣にさせられない生命保険外交員に責任の一端がある、とも言える。


明日死ぬと分かっていたら、どう生きるか?そんなことは普段考えない。しかし、私たちの存在が、それを考えるキッカケになればいいと思って、おこがましくもこの仕事をしている。

あるいは。

我が子が自分の隣にいて、私の仕事ぶりを観察しているとしたら?私はこの保険商品を誇りを持ってお客さんに提案するだろうか?



この考え方が善、あるいは正かは置いておいて、こういう考え方をする生命保険外交員はいま現在、絶滅していない。日本各地に存在する。これを読んでくださった方には少しだけそれを頭の片隅に置いてほしい。全ての生命保険外交員はそんな葛藤と共にあるのだ。


ただ、この考え方、少しばかり現代的ではない気がするのだがね。そもそも「人生は真剣に生きるべき」ということを「善」としている前提が気持ち悪い気がする。

もっとデータを重視した考え方だってある。だが、感情と論理の交わる場所を探していきたい。誰だって、まだまだ元気に生きるはずだから。私だってきっとそうだから。


では、また。








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