社長のアウディ乗り放題。
私が24歳、社会人になって1社目の広告代理店にいたとき、会社の社長にいたく気に入られた。
当時60歳くらいの社長は、身長が150cm台でピョコピョコ歩き、その顔にはいつも、うす茶色のサングラス。
どこの社長も、従業員からすれば目の上のタンコブのようなものだから、社長が何かを話し始めたら、私以外の全員が白目をむいていた。
私はと言えばこの社長が何を考えているのか知りたくて、とりあえず「うんうん」と聞く係になっていた。
と言われればなぜか社長と私だけで沖縄に行った。沖縄の道は運転がしやすい。みんな優しいから。「やっぱ沖縄は最高だなぁ! イトー君!」と言われれば「まぁ、そうですかねぇ」と苦笑いしていた。
「イトー君もよく社長に付き合うよなぁ」
と言ってきたのは、その道20年のベテラン社員の岡本さん(仮名)で、でっぷりと出たお腹にお弁当をのせて「若いのにこんなところにいたらダメだぞイトー君。俺たちみたいになっちまう」とよく言ってくれた。
勤務時間の日中13時からは、社長の機嫌が良ければ社員で麻雀をやるのが日課だった。仕事をしなくてもよくなるので、他の社員たちは陰で文句を言いながらも、社長との麻雀を楽しんでいた。
「社長、ぼくは麻雀のルールが分かりません」
と私が言うと「やってたら覚えるっつーの! ナハハハ!」と言うもんで、たしかに何回かやってるうちに覚えられた。1日250件の電話営業から解放されるから、社長のご機嫌が持続して18時までやれるように、みんなで結託した。
「おいイトー。僕はね、君が気に入らないよ」
と言ってきたのは、当時28歳の佐藤さん(仮名)という男性で、彼は結婚して子どもが生まれたばかりの新米パパだった。
つるっとした肌に銀ブチの眼鏡がのっていて、いつも不愛想。佐藤さんにとっては私が唯一の後輩だったので、きちんと私を呼び捨てにしてコキ使い、それはもうたっぷりとマウントを取られた。
けど、私が佐藤さんをイジると彼はなぜか喜ぶ。ある日の佐藤さんはストレスがたまっているようだったので、
「あれ? ストレスですか?
最近お酒は飲んでます?」
と聞くと、
「おい、イトー。俺がお酒を飲みに行けると思うのか? パパだぞ? おれを舐めてるのか?」
と言うもんだから、
「まぁ、週末、居酒屋でも行きましょうよ」
と私が初めてのサシ飲みを提案すると、
「…ったく、まぁ、一軒だけならいいぞ」
と可愛く言うもんで、札幌の狸小路の居酒屋にきちんと一軒だけ行った。お会計は1円単位で割り勘だったのがおもしろかった。
うす茶色のサングラスをかけなおして、社長が私に言ってきた。別に車が好きも嫌いもないから、アウディに好きも嫌いもない。ドイツの高級車だということだけは知ってる。
「アウディのエンジンはすごくてなぁ! イトー君!」
と社長が言うので、アウディがどういいのかを聞いた。社長の自宅にアウディのスポーツタイプがあるものの、ずっと運転していないらしい。宝の持ち腐れだ。
と言って、車のカギを渡された。さすがに申し訳なさすぎて、一度も乗ることはなかった。
「今度、社長の親せきが東北からやってきて、北海道旅行をするらしいぞ」
出過ぎたお腹の岡本さんが小さな事務所で私たちに言ってきた。ベテランだから、社長のプライベートのNEWSも把握しているらしい。
銀ブチ眼鏡の佐藤さんは上司にこびるので「へぇ! そうなんですかぁ!」と反応していたが、続けてこう言った。
「なら運転手が必要ですね!
おいイトー、貴様の出番だな」
新米パパは皮肉たっぷりにそう言うので「でしょうねぇ」とだけ答えて、私はニヤリとする。まぁ大学は除籍だから頼まれたらなんでもやるし、まぁいいやと割り切っていた。
で、ちゃんと社長の親せきをおもてなしした。「ここが美瑛の丘ですよ。あんまり知られてない場所があってですね」と案内すると、東北からやってきた親せきが「わぁ!」と喜んでいた。
そんなことをやってたら、いつの間にか2年が経っていた。当初は広告のイロハを学べると思っていたが、私がやっていたのは電話営業のみ。
クソを漏らすほどつらかった。この2年で学べたのは、電話営業のノウハウと、見ず知らずの人と電話1本で勝負する胆力のみである。
▶この会社を退職するきっかけは、以下の記事に
というわけで、入社から約2年半後、私はこの会社を辞めることにした。社長に報告したときは、それはそれは悲しそうで、
と言われ、そんな約束したかなぁ、
と思いながらひたすら謝った。
お腹をでっぷりとさせた岡本さんは、
「いやぁ、よかったなぁイトー君!
見事にこの監獄からの脱出に成功だ!」
と喜んでくれて、
マウントを取る28歳の佐藤さんは、
「おい貴様! 俺をここに置いていくのか!
おい! イトー! 裏切り者め!」
と言うから「なんかすいません」と謝った。
かと思ったら佐藤さんは、
「貴様! もし起業したら俺を役員にしろ! これは約束だ! 取締役総務部長におれをしろ!」
ベジータみたいな無理難題を言ってきたけど、「はい、わかりました」と答えて、会社を辞めた。
アウディを乗り放題にしてくれた社長との約束は守れなかったし、この佐藤さんとの約束も、きっと守れそうにない。
これが1社目の思い出。
【関連】ここで改めて私のプロフィール記事!