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藤井風の近くにいそうな人。
藤井風という文字の並びを
はじめて見た時にまず思ったこと。
「風? それは本名か?」
であった。
調べてみると、藤井風は
4人兄弟の末っ子らしいじゃないか。
ひとまわり歳の離れた兄と姉がいて、それぞれのお名前は「陸」「海」「空」という、この世を構成する三要素の名称から取られてて、4人目の藤井風くんが生まれた時には、ウソかマコトか、その上を流れる「風」にしちゃおう、と。
もう、親からして違う(真偽不明)。
名は体を表す、ではないけれど、
藤井風はまさに、自由な風のような男だ。
会ったことはないけど、見てたら伝わる。
さらに、彼が作る楽曲を聴いてみれば、これまたセンスの塊で、ジャジーなコード進行と、文学にたくさん触れてきたであろう日本語の使い方、そしてあの歌声、ルックスと、もはや非の打ち所がない。
加えて岡山県という地方の出身である点も、とても現代的だ。
…
この記事で藤井風の素晴らしさとか、
楽曲の特徴を語るつもりはない。
スポットライトをあてたいのは、
「藤井風」の近くにいそうな人
についてである。
藤井風の後ろには、当然、無数の大人たちがいるはずだ。それは編曲担当であり、MV制作陣であり、彼のアート活動を一手に担う部隊の人たち、それから広告戦略の人たち。もうたくさん。
たぶん、たぶんなんだけど、こんなイメージの人たちが彼の後ろにはいそうだ。
丸メガネをかけていて、無精髭が生えていて、ツーブロックで、くるぶしが見えていて、白いシャツを着ていて、多少の移動ならロードバイクを使って、なぜか当たり前に絶対音感を持っていて、確実に馴染みのバーがあるんだけど、かといって異性交友の香りがしてこない、そんな都会的な人たち。
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才能を持った人たちである。
絶対にすごい人たち。
たまに札幌にもそういう見た目の人がいる。
収入の出どころが不明の方たち。
そういうクリエイティブな人種に憧れた時期があった。いいなぁ、クリエイティブだなぁ、才能ありそうだなぁ、なんて。
むかし、山下達郎がラジオか何かで、
「一番偉いのは、サラリーマンの方々。この国のために、一生懸命働いてくれているから。私にはそれが出来ない」
的なニュアンスのことを言ってたことがあった。
が、私のような一般のサラリーマンからすれば、彼らのようなクリエイターに憧れを持つものである。いいなぁ、素晴らしいなぁ。
で、行ったり来たりするようで申し訳ないのだが、ここで何を言いたいかといえば、とはいえ、
やっぱ、藤井風みたいにな・り・た・い・ゾ!
彼の後ろにいる人たちも、それぞれに才能を持った素晴らしい人たちなんだけど、やっぱ0から1を生み出すような、そういう人種になりたいね。
「なんか自分がいいなと思うもの作ってたら、こんなん出来ましてん。あとは煮るなり焼くなりパールライス」
って自然に言えちゃうような、世捨て人とも違う、泰然自若とした、ビジネスやお金の香りがしない、そういう人に私もなりたいんだけどなぁ、ムリだなぁ、なんて思いながら今日も一生懸命に働くのでございました。
【関連】この記事の続きを書きました
(追記2022.11.17)
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〈あとがき〉
ヒゲダンやKing Gnuとも違う、藤井風のあの自然体な感じに憧れます。彼には彼なりの葛藤があるのかもしれませんが、にしたって憧れますがな。その後ろにいるお金を生み出す人たちも素晴らしい。でも結局、藤井風くんだなぁ、なんて思うのです。今日もありがとうございました。
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