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うつ病について色々学んでおく


何となく理解しているようでしていない『うつ病』

たらればになりますが、発症する前に正く理解する機会があっても良かったと後になって思うものです。


世間の鬱病への捉え方

は医学の発達や保健衛生も含め世への周知も進歩しており、もはや「こころが弱い」「こころの風邪」という言われ方は表面上で言われることも聞かされる事も少なく見受けられるように思います。

もっとも、内容の理解というよりは、「うつ病」と聞いたら「精神に問題がある」「触れてはいけない」「弱い」などと思う方も多くいらっしゃると思います。従前からの考え方を変えない人、中途半端な知識だけの人、残念ですが、特段と権力や強い権限のある方の多くの方にその傾向が多いと思います。

昨今のモラルハラスメントに対する社会的や企業的に多くの教育の機会や情報を得ている方も多いと思いますが、「触れないようようにはする」程度の理解だと思っています。

見えない差別

は未だあるでしょうし、未だに私も感じます。
正面切って「私うつ病です」と、自身の病状を打ち明ける方は未だ少ないようです。日本人特有なのかはわかりませんが、自身のネガティブと取られがちな事を伏せる傾向があると思います。
一方、腰が痛い、目が悪いだの身体の事でメジャーな病などは結構日常会話でも挨拶がわりに話してしまう方も多いように思います。
「心」や「記憶」など全く目に見えない部分は「言わない「聞かない」「触れない」など未だタブー視されているように思います。

病を聞かされた方も反応に困る

のでしょう。言わないだけで「精神論」で片付けられがちです。
また、その後、配慮のつもりが知識がないのも重なり、噂話のよう伝わり、「病んでるらしい」「過去病んだ」などで片付けられ誤解になる以前はに全くすれ違って問題の解決にならない事が多々あります。

病んでいる方はすでに病気が進行しているため見えない空気どころか過剰に余分なほど感じ取り反応を示す方もいると思います。
そもそも自分の事で精一杯になっているため「何もしていなくても身も心も全てのエネルギーが弱ってしまうのがうつ病の怖い所です」

当事者のみならず、対峙する相互に知識がない状態であれば、治る可能性のあるものも治らずです。家族でうつ病を抱えていても、そもそもの根本で「死んでしまう病気でない」事や「根気まけ」や「間違った勇気づけ」なども重なり人間関係や家族関係ですら「困った」が優先され、「取り組もう」というようにならないように思います。

疾病者=「健康で正常な思考の停止」=自己対応不可
家族や周辺=「対応方法が分からなく混乱」=少々の知識では対応が困難

先が見えないのは当事者

もそうですが、関わる家族や職場も同様に思うでしょう。一番不安なのは当人ですが周りが優しくすれば治る訳でもありません。

正く知識を付け、治療し生活を整え治す。再発を防止する。
出来れば、克服し日常の生活へ近づける小さな成功体験の自信を積む。

現代の医学でも生涯治らない人も一定数出てしまいますが、上手く付き合う方法も見つけていく事は当事者本人の為でもあります。

良い意味で自分と向き合い「仲良くし上手く付き合う」方法の探求と人間性の成長に繋げる事だと私は思っています。