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見えない生活者に流れる、異なる時間軸〜『JR上野駅公園口』を読んで

誰もが生まれながらにしてホームレスだったというわけではない。
当たり前かもしれませんが、この本を通して自分が一番気付かされた事実です。
今回、2つの視点から、この本で感じたことをまとめてみたいと思います。

⑴見えない生活者
これまでの人生、大人から教わってきた通り、ホームレスは”見てはいけない”、”近寄ってはいけない”存在だと思って過ごしていました。
橋の下の段ボール小屋で過ごす人や公園で荷車を引いている人は、自分にとって「人」ではなく、ある種の「幽霊」のように捉えていたんだと思います。

実際、本書にも出てきますが、天皇陛下の来賓時やオリンピックの視察の際に、"山狩り"を実施し、多くのホームレスを「隠して」いました。
自分はこの事実を知らなかったので、衝撃を受けました。
しかし、考えてみると自分もホームレスに対して無意識に「そこにいない」存在として見ていたので、国の対応に対して大きな声で非難できる立場ではありません。

以前著者である柳美里さんは、インタビューの中で「消え入りそうな声を受信するのが仕事」と話していました。
この本は、まさに社会から目を向けられていない「ホームレス」に焦点を当て、彼らの言葉を代弁している一冊だと感じております。
国も、そして個人も、ホームレスを見て見ぬふりせず、真っ向から向き合って、まずは対話をしてみることが大事なのではないかと思いました。

⑵異なる時間軸
この物語は、ホームレスとして上野駅で過ごす男性の一生を回想していく話ですが、
そこにはかつて、家族がいて、愛し、愛されていた生活がありました。
ホームレスになる前は家族のために、休む暇もなく毎日必死に働いて、仕送りを続けるお父さんだった彼。
働く動機は家族のため以外にはなく、子どもが自立し、妻が亡くなると、自分のために働こうという気持ちが湧かなくなります。食事が買えるほどの必要最低限のお金を日々稼いでその日を「やり過ごして」いました。

この本に出てくる印象的な時間に関する描写があります。
「暦には昨日と今日と明日に線が引かれているが、人生には過去と現在と未来の分け隔てはない。誰もが、たった一人で抱えきれないほどの膨大な時間を抱えて、生きて、死ぬ。」

ほとんどの人は、衣食住がある環境でそれなりに良い暮らしを望んでいて、
だからこそ、わずかな休日を楽しみに、「忙しい」「時間がない」と口にしながら毎日一生懸命働いています。
1日は曜日ごとで区切られていて、曜日で今日はなんの日か認識する。
それが当たり前の感覚だと思っていましたが、ホームレスの時間感覚は異なっていて、少なくとも主人公の男性は生きたいのではなく、死ぬ理由がないからとりあえずなんとか膨大な時間の中で生きている、そんな印象を受けました。

「時間」だけは、誰もが平等に流れていると感じていたので、きっと物事の捉え方や見え方は自分と全く違っていると思うと、もっと彼らを知りたくなりました。
きっと彼らは自分たちと全く違った視点で世の中を見つめているのだと思います。

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