私の詩
毎日1本と決めて詩を書いてnoteに上げています。
この作業も79日目になりました。
最初の頃は、書いた所で見てくれる人も少なく
『スキ』やコメントも付かずサボりがちで
たまにやる気のある日には2〜3本とあげる日も
ありました。
そんなこんなで、書いた詩も80本を超えました。
今では1本あたり300人程の方に見て頂き、
『スキ』やコメントをくれる方も増えて
これが楽しみでありモチベーションに変わり
毎日、noteを続けられています。
『詩』というとなんか敷居が高いと言うか
一般受けはしないというイメージが強いと
思います。
書いてある事がイマイチ解らなかったり、
読んだ所で、何か新しい情報が得られる訳でも
なく、芸術だと言われても理解出来なかったり
敬遠されがちなジャンルだと思います。
正直、自分も書いたり読んだりしますが、
きちんとした事は解っていません。
自分が未熟なのをドヤ顔で言うのもどうかと
思いますが…。
でも、それで良いんじゃないでしょうか?
美術館や写真の展示会に行く人の全てが
深い見識があり、その技法や発想の素晴らしさに理解を示している訳ではないと思います。
ゴッホの絵をみてなんかゴツゴツしてるとか
ピカソの絵を見てこれなら誰でも書けるんじゃ
ないか?落書き?みたいな感想だったとしても
それでも、なんか『凄い』とか『カッコイイ』とか『綺麗』とか少しでも心が動かされたのであれば見た意味はあったのです。
芸術なんて、解る人にはしっかりと解り
解らない人には解らないか、
なんか解った気がするでいいと思うんです。
むしろ、解らない人をなんか解った気に
させる物の方が本当は凄いと思います。
詩も同じ様なものです。
そして、絵よりも道具がいらない分、
誰にでもいつでも書ける身近な芸術だと
思います。
何かを表現して、それを評価される事は本当に
気持ちがいいです。
自己承認欲求が満たされてドーパミンが
大量に分泌されます。
勿論、世に出してしまえば批判を受ける場合も
あり、その覚悟は必要でしょう。
note内に関しては、あまり批判的なコメントを
見かけた事がないんで気軽に書けると思います。
自分の書いている詩に価値はありません。
中原中也の様に100年残るものでも
谷川俊太郎の様に時々お金に変わるものでも
ありません。
詩と呼ぶ事ですら怪しいものです。
書いている本人が詩の定義を理解しておらず、
雑誌に掲載されているわけでもありません。
それでも読んで頂き、リアクションを頂き
幸いな事に批判的なご意見を賜っていないのは
本当にありがたい事です。
詩は小説やエッセイに比べて、圧倒的に
情報量が少なく作り手の意図を理解するのが
とても困難です。
そもそも意図等なく雰囲気で入れた様な節もあったりする位です。
情報が少ない分、読み手の想像力に任せる部分が多く、言うならば書いた時点で完成ではなく、
読んで貰って読み手の想像力を足して
初めて完成する様なものです。
だから、自分の詩は読んで貰って
どこか1節でも、いや1行でも「なんかいいなぁ」と思って貰えたらありがたいんです。
それ以上の感想やまして読み返して貰えたり
するのであれば最高の喜びです。
使い捨てでいいんです。
一瞬でも貴方の心が動いたのであれば、
書いた意味があります。
書き手が全員こんな風には思っていないだろうし
ちゃんと理解して書いている方もいるんで
絶対とはいい切れませんが、それでも書いた人は読んで欲しいんです。
だから、貴重な時間を割いて頂くのに
失礼な言い方かも知れませんが
気軽に読んでください。
ちょっと見てダメだったらすっ飛ばすか
次の作品を見て下さい。
きっとその内いい詩に会える筈です。
どうしてこんな記事を今のタイミングで
あげたのか?
普通ならキリ良く100日連続投稿とか
100詩書きましたー。の所だと思うんですが
たまたま、見つけた下記の記事に凄く共感して
自分も書きたくなり長々と書いてしまいました。
記事はこちら↓
https://note.com/inryo/n/nd03f2e793d5f?magazine_key=mb498d02bdb2c
追伸
自分の書いた詩を読んでもらうのが
一番嬉しいんですが、note内の詩を集める
作業もしておりましてこの記事を読んで頂いて
詩に興味を持って頂けたら下記のマガジンも
良かったら覗いて下さい。↓
https://note.com/fuseyanao575/m/mb498d02bdb2c
自分の詩のまとめ↓
https://note.com/kesun4/m/m5e8f55378492