サンスクリット語翻訳練習 カタ・ウパニシャッド2.1.10 輪廻(saMsAra サンサーラ)について
saṃsāra (von sar mit sam)
1) adj. wandernd, Wiedergeburten erfahrend: citta Maitryup. 6, 34. man könnte aber auch saṃsāre st. saṃsāraṃ vermuthen.
— 2) m.
a) das Hindurchgehen: asūcīsaṃsāre tamasi Spr. (II) 785, v. l. (für °saṃcāre).
— b) die Wanderung aus einem Leben in ein anderes, das sich stets wiederholende Dasein, Kreislauf des Lebens, das (sich immer wieder erneuernde) Leben mit allen seinen Leiden Trik. 1,1, 133. H. an. 4, 91. Med. ṇ. 111. Halāy. 5, 20.
— sam
1) zusammenfliessen: samindurgobhirasarat Ṛv. 9, 97, 45.
— 2) umhergehen, wandeln Mbh. 12, 1882. 12, 10971. Spr. (II) 6633. Kathās. 69, 4. svena saṃsarate pathā Spr. (II) 5324. Bhāg. P. 3, 9, 10. 6, 5, 15. insbes. aus einem Leben in's andere wandern und die damit verbundenen Leiden empfinden Maitryup. 6, 30. Yājñ. 3, 169. Mbh. 12, 1009 (med.). 14, 455. Sāṃkhyak. 40. 62. Spr. (II) 6061. Bhāg. P. 3, 32, 14. 4, 2, 24. 8, 22, 25. 10. 70, 39. 73, 15. 11, 9, 20. jātīṣu Mbh. 14, 1266. bahvīryonīḥ 13, 1871. 14, 1575 (med.). pāpānsaṃsārān M. 12, 70.
輪廻という概念があります。生まれ変わりです。長年、様々な立場から語られ、その内容は変遷してきたようです。
この詩節でも説明されます。輪廻はサンスクリットでsaMsAra サンサーラといいます。
2語から成っています。「(生死の)進行の集合」みたいな感じでしょうか?
saMsAra
・saM sam adv. zusammen 一緒に、集まった
・sAra m. Gang 歩き方、進行 Lauf 走る事、進路
(原文)*1
yadeveha tad amutra yad amutra tad anviha / mRtyoH sa mRtyum Apnoti ya iha nAneva pazyati //
(日本語訳)
ここにあるものはあそこにある、あそこにあるものはここにある。ここで、その2つを違うとみなす者は、死から死へ行く。
(Swami Muni Narayana Prasadの英訳)*1
Whatever is here, that is hereafter; what is hereafter, that again is here. Who perceives as though the two are different, he goes from death to death.
(岩本裕訳)*2
〔10〕ここにあるものは、そこにもある。そこにあるものは、それに対応して、ここにもある。彼は死から死に赴き、ここで相違を見る。
(読解)
yadeveha
・yad Relativ-Pron. ya n.sg.N. welches ~ものは
・eva so, eben 実に
・iha hier ここ
tad Pron. ta n.sg.N. das それは
amutra dort そこ, im Jenseits 来世に、彼岸に
yad
amutra
tad
anviha
・anu darauf その上に、それに応じて
・iha
/
mRtyoH mRtyu Tod 死 m.sg.Ab.
sa Pron. sa m.sg.N. er 彼は
mRtyum mRtyu Tod 死 m.sg.Ac.
Apnoti √Ap erreichen 到達する 3.sg.pres.
ya Relativ-Pron. ya m.sg.N. welcher ~者は
iha
nAneva
・nAnA adj. vershieden 異なった
・iva adv. wie ~ように
pazyati √dRz sehen 見る 3.sg.pres.
//
あくまで個人的な解釈ですが、
此岸(この世)と彼岸(あの世)は同じだ。それを、まるで違うかのように見なす者は、死を繰り返す、つまり輪廻という苦しみから抜け出せない。
このような意味合いでしょうか?難解です。インド哲学も極め難い分野なのでしょうね。
最後に、英訳の解説の要約を書きます。
全世界で、自己の現実だけを見る者は、賢者だ。なぜなら、彼には、他所へ去り・至るという問題が生じないからだ。
無知者は、遍在する自己を知覚せず、多世界を現実とみなす。そして死をこの世を去るイベントだとみなす。
世界を去る事は、他の世界に到達する事を意味する。
再生は死を意味する。
このサイクルが輪廻と呼ばれ、無知者によって現実とみなされる。
無知者はこの経過を経験すると感じる、なぜなら、生命の性質と同じく、世界の性質は、人が知覚する通りのものだからだ。
無知者はそれを誤って知覚する。そして生死を現実とみなす。
輪廻という苦しみに留まるか、再生もせず、止む・消滅する事もない状態に留まるかは、人が自己と、彼が属する世界をいかに知覚するか、による。
記事にまとめてみると、理解が深まりますね。
(注)
*1 KaTha UpaniSad, Swami Muni Narayana Prasad, 2014, p.93
*2 岩本裕、原典訳ウパニシャッド、筑摩書房、2013、p.302
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