僕にとってはたらくとは
第1の人生 ~ がむしゃらに働いた ~
1970年代。モーレツな時代だった。
僕の両親は常に働いていた。僕ら3人の子どもを養うために。
当時、会社の休みは日曜のみ。しかし、父は日曜も清掃のアルバイトに出かけていた。母は家事をこなしながら空いた時間に内職をしていた。近所にゴルフ場があった。朝、昼、夜とゴルフ練習の休憩時間がある。その時間に球拾いのアルバイトにも出かけていた。
そんな状況でも、父はたまの休みに僕を遊びに連れて行ってくれた。映画館や遊園地。親戚の家へも。1970年に大阪万博が開催された時も父に連れて行ってもらった。僕の家は東京。親戚が大阪に居たので夏休みに泊りがけで連れて行ってもらった。
東京は物価が高い。家族5人が生活をしていくのは大変だ。しかし、父と母は何一つ愚痴を言わず働いていた。
僕は、そんな両親の背中を見て育った。
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「男は背中で語る」というセリフがある。僕は、母も背中で語っていたように思う。
おかげで僕は、働くのが苦にならない人間になった。
高校に入学と同時にアルバイトをした。高校時代の3年間は殆どアルバイトをしていた。小遣いは中学までは貰っていたが、高校に入ってからは貰わなかった。
大学生になってからもバイト三昧。体を動かせば、それに比例してお金が稼げる。働くことが全く苦にならない僕は、それを楽しんでいた。
80年代後半。僕は社会人になった。最初はサラリーマンだったが、更なるやりがいを追い求めて自営業の道を選んだ。自営業の道は険しい。〈早く一人前にならなくては〉と思い、走り続けた。〈その仕事が好きだから〉ではなかった。〈お金を稼げるようになって安心したい。そして、両親も安心させたい〉と、ただそれだけだった。
自営業は自分次第。やる気があればあるほど稼げる。夢があった。僕は遊ぶ時間を惜しんで働いた。もちろん休日も働いた。みんなが休んでいる間に活動することで収入になる。友人から遊びの誘いもあったが、それを断り働いた時期もあった。
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僕がそのようになれたのは、やはり両親の存在だった。両親が無言で教えてくれた “ 働くことの尊さ ” だ。僕は生まれた時から常にそれを感じ取っていたのかもしれない。だからこそ、あそこまで働けたのだと思う。
知らず知らずのうちに “ 働くのが当たり前 ” と、僕の心に備わっていったのだろう。
“ 最高の財産 ” だ。
この心を導いてくれた両親には本当に感謝したい! ありがとう!
当時の “ 僕にとってはたらくとは ” こういうことだ。
第2の人生 ~ 本当の自分を追及 ~
2022年。僕はだいぶ年をとった。以前のような働き方はできない。
子どもの頃の70年代。社会人としての80年代~90年代。その頃とは時代も価値観も変わった。働く目的。働く意味。働き方。だいぶ変わった。
高度成長時代は、真面目に一生懸命働くことで家を建てることができた。バブル時代は、とにかく忙しかったがその分収入が増えた。〈やりたいことを追及する〉のではなかった。ただがむしゃらに働く。それでも所得増という夢があったのだ。これが本当の夢かどうかは分からなかったが希望があった。希望があったからこそ、やりがいが後からついて来る感じだった。
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今の時代は、たしかに不況だ。
しかし、怯む必要は全くない。
なぜか? それはインターネットが目まぐるしく進化したからだ。
好きなことがあれば、それをネットやスマホですぐに調べられる。勉強したいことがあれば、それもネットやスマホですぐに勉強できる。YouTubeで探せば、詳しく解説をしてくれている動画が見つかる。やりたいことがあれば、そのノウハウを調べることができる。
自分次第で何でもできる。とにかく追及すればするほど、良いものを見つけ出せる。
だから、怯む必要は全くない。
昔はアナログの時代だったからね。「俺はこれがやりたい!」と思って、色々と調べてみても限界があったんだ。その限界を突き破って成功した人もいたが、たいていの人は立ち止まってしまった。そして、自分に限界を感じて諦めてしまっていたんだ。
もちろん、今の時代でも、昔のようにがむしゃらに働いて収入を得る、という働き方もある。ただ、それだけだと勿体ないと思うんだ。せっかく自分次第で何でもできる世の中になったのだから。それをやらない手はないよ。
「本当にやりたいこと」を追求できる時代。
収入とかそういうものではない。本当の自分を追求できるのだ。
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僕は今、第二の人生を歩もうとしている。今の仕事は数年以内に終了する予定だ。
そして、次の仕事。
それは、「自分が本当にやりたいこと」を追及すること。
今の “ 僕にとってはたらくとは ” こういうことだ。
現代の働き方については、過去にも記事を上げました。よろしければ、こちらもご覧ください。
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