家康ラップ③ ~今川家で学問す~
<3rd VERSE>
駿府に来たんだ 俺8才
お供も随行 皆 喝采
悪くはないぜ 人質生活
勉学に励み 人生計画
俺の師匠は 太原雪斎
学問に妥協は 許さず一切
今川の軍師で 僧侶で政治家
黒衣の宰相 戦は圧勝
手習いの間 臨済寺
儒教の教え とても大事
確立したんだ 人間形成
基本的なことが この地で完成
浅間神社 大拝殿で元服
烏帽子親 義元 今川家に敬服
元信 改名 元康 改名
瀬名姫と結婚 俺一人前
<HOOK>
終止符打ったぜ 戦国乱世
充実させたぜ 泰平国家 完成
戦慄の時代 俺たち反省
堅実な社会を きずくぜ賛成
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間奏
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<4th VERSE>へ続く
by ゲルゲ
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前回は「家康ラップ② ~どうする竹千代~」でした。
今回は、今川家での人質生活についてラップしました。
簡単に歴史解説をします。
今回登場した人物
↓ ↓
松平竹千代(⇒ 元信 ⇒ 元康と改名)
(後の徳川家康)
今川義元(遠江国、駿河国)
太原雪斎(臨済寺の住職)
(今川義元の師)
(今川家の軍師)
今川軍と織田軍との間で「信広 ⇔ 竹千代」の人質交換が成立。竹千代は今川の駿府に送られました。
8才から19才まで今川義元の人質として生活を送ることになりますが、本来の人質という暗い環境ではなかったのです。お供も随行していましたし、学問もしっかりと学ばせてもらっていたのです。
竹千代は、学問を学ぶために臨済寺というお寺に通っていました。当時の学校はお寺です。先生は太原雪斎。彼は臨済寺の住職であり義元の師であり今川家の軍師でもあったのです。「黒衣の宰相」とは、僧侶でありながら政治に参与し、大きな影響力を及ぼす人物のことです。
竹千代は、儒教の教えや孫氏の兵法を学びました。ここでの生活で学問がいかに大切かを学びました。ここで受けた教育が、後の彼の人生に大きな影響を与えたのは言うまでもありません。
14才になった竹千代は、浅間神社の大拝殿で元服の式を行います。烏帽子親は今川義元です。「烏帽子親」とは、武家の男子が元服するときに烏帽子をかぶらせる仮の親のことです。
名前は「⇒ 元信 ⇒ 元康」と改名し、16才で瀬名姫と結婚。一人前になります。
人質ということになっていますが、全然そんな感じはしないですね(笑) 義元の養子として預けられた。そんな感じです(笑) きっと義元は、竹千代を将来の自分の最高の部下にしようと考えていたのではないか、と思います。
ま、こんな感じです。
次回はついに、桶狭間の戦い。
④につづく・・・
イェーッ!!😁