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気付いたところで「だから何?」って話(笑)。

今回は「時間」について考えてみようと思います。

最後までお付き合いいただけると幸いです。

まず最初に、一つ質問をさせてください。

☞「時間」をイメージしてください。

いきなり抽象的な質問で恐縮ですが、実はこれが、多くの人に共通する「思い込み」から脱却するキーワードになります。

…もっとも、タイトルの通り、気づいたところで「だから何?」って話だと思います(笑)。

ですが、もしかしたら、誰かの心に刺さる話かもしれませんし、その「誰か」とは、あなたのことかもしれませんよ?(*'ω'*)

男性・時計を見る・腕時計

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人は時間に縛られている⁉

余談ですが、腕時計のニーズって右肩下がりなのでしょうか?

今は多くの方がスマートフォンで時間を確認するのではないでしょうか?

ビジネスシーンではスマートフォンを見る行為が未だにマナー違反だとされている会社もあるかもしれませんね。

私は普段、腕時計をしません。

それは、上記のように、スマートフォンで確認するからではありません。

( ̄д ̄)実は…金属アレルギーなので、バンドが皮仕様でも、文字盤の裏のカタチに皮膚が赤くなります(笑)。

金属アレルギーということは、アクセサリー不可なので、「チャラおっさん」には、なりたくてもなれないということです。

(;´・ω・)…チャラおっさんって何⁉

…というか、なりたいのか⁉(゚Д゚)ノ

…あ、スイマセンm(__)m。ホントに余談でした…(笑)。

人は時間に縛られているという話は、下記から始めます( ̄▽ ̄;)。

イメージ・手錠・青空・拘束

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社会生活において、「時間」という概念は、私たちを世界共通のレールの上に置くことを可能にしました。

すなわち、「起きてから、寝るまで」のルーティンワークです。

今でも、多くの会社には「定時」が存在し、その時間内は、労働者として勤務時間に拘束されます。

在宅ワークが採り上げられ、日々の通勤の見直しにも注目が集まっていますが、公共交通機関の利用も、乗車時間などの「時間に関する制約」が存在します。

他にも、お子さんの学校ですとか、観たいTV番組などを鑑みても、やはり、私たちの生活は、時間によって縛られていると思うのが自然なことではないでしょうか?

シルエット・世界・人々

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最初の質問、覚えていますか?

さて、答え合わせと行きましょう。

あなたがイメージした「時間」とは、「時計」ではありませんでしたか?

スマートフォンの画面かもしれませんし、腕時計かもしれません。砂時計や置き時計、懐中時計などかもしれませんね。

変わり種としては、伊豆にお住まいの方などは「花時計」を連想したかもしれませんね(静岡県伊豆市土肥にある松原公園には、世界一の花時計があります)。

(-_-;)…また余談でした(笑)。

※下記の画像は「伊豆市土肥観光協会」のHPより

花時計(伊豆市土肥)

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時計」とは、「時間を計るモノ」であって、「時間そのもの」ではありません。

…時間そのものなんて、見える訳ないじゃん(-"-)

その通りです。

他にも、目に見えないモノを「計る」ために、寒暖計(温度計)や速度計、体重計といったモノもありますよね。

…お分かりでしょうか?

もともと見えない存在であった「時間」を、私たち人間が「見える化」したのが「時計」なのです。

つまり、人間が発明した「時計」という箱時間を押し込めることで、私たちは時間という概念世界共通のルールとして、採用することを可能にしたのです。

そう考えるのであれば、「人が時間に縛られている」のではなく「時間が人に縛られている」と考えることもできるのではないでしょうか?

では、このことから、何が言えるでしょうか?

私は下記のように考えました。

イラスト・鳥かご・解放

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いつでも解放できるという意識でいること

社会というコミュニティに属している以上、時間を意識することは必要です。

ですが、「拘束されている」という考え方からは抜け出してもいいのではないでしょうか?

時間」そのものは、見ることのできない、自由な存在であるはずです。

また、私たち人間も、自由な存在として在るのだと思います。

時計」は、私たちと時間を閉じ込める檻のような機能を有していると私は考えています。

…そうなのです( ゚Д゚)。

いつからか、私たちは自ら生み出した「時計という檻」に時間だけではなく、私たち自身も閉じ込められていたのではないでしょうか?

キー・セキュリティ・鍵

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解放のカギはどこ…?

時計という檻」があるとして、そこから抜け出すにはどうすればいいのでしょう?

…ちょっと待ってください(/・ω・)/。

そもそも、この檻にはカギなど存在していないのです。

私たちは、自ら檻に閉じ込められたというだけでなく、「カギが無ければ抜け出せない」という「二重の檻」を、勝手に作りあげていただけなのだと思います。

いつだって、檻の扉は開いているというのに。

…いかがだったでしょうか?

私たちは、常に多くの制約や制限の中で生活しています。

その上で、いつしか、自ら作りあげた制約が足枷となっている人も多いのではないでしょうか?

ここまで読んでいただいたのでしたら、察していただけますよね(*'ω'*)。(まる投げw)

今回は、このまま、まとめずに終わりとしたいと思うので、少し自分の心と話し合ってみてください。

きっと、あなただけの答えがあると思いますよ(^-^)。

ということで、最後までお読みいただきありがとうございました。

今回の投稿は以上です。


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