「ルール」って難しい(._.)
現在、人生で初めて「ルールを作る側」に回っています。
「何のルール(・ω・)?」かというと、下記の記事参照ですm(__)m。
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通常、ルールとか法律に対しては、「守る側」にいるのが一般的だと思います。つまりは「決められてるから守りましょう」と言われて、順守している状態。
この「守る側」にいるときって、ルール(以下、取り決めのことを「ルール」に統一)って、ちょっと面倒くさいと思ってしまいます。
「なんでこんなルールがあるの(;゚Д゚)?」
中には、ホントに相当な期間、改正されていなくて、現代社会に即していないルールもありますが、それは今回の話からは省きます。
よくよく考えると、ルールって不思議な存在だと思いませんか?
ルールは人を守らない
例えば、「モノを盗んではいけない」というルールがありますよね。当たり前のことです。
ですが、このようなルールがあっても、モノを盗む人はいます。自分がルールを守っていても、モノを盗まれることがあるのです。
では、なぜ私たちはそれでもルールを守るのでしょう?
まあ、私は法学を専門としていないので、深掘りはしませんが、「人がルールを守るのは、人であるために守るのである」と、私は考えています。
天は人の上に人を作らなかったのかもしれないけど、人は人の上に法を作ったんだと思います。人であるために。そう考えると「法治国家」って言葉って、思った以上に深い…気がする(;´・ω・)よく分からないけど(笑)。
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で、ここからは「作る側」の話ですが、ハッキリ言って、「ルールって守るだけの方が楽」です。
言葉一つ、「てにをは」一つ違うだけで、伝えたいことも、解釈の仕方も、大きく変わってしまいます。
余談ですが、日本国憲法って、短期間でまとめた割に、ものすごくまとまってると思ってます。条文一つ考えるのに、私の場合、数日で決まればいい方です(;'∀')。
あと、個人的に苦戦しているのが「血液量」です。
…は(-"-)?
って思うと思いますが、とりあえず聞いてください(>_<)。
ルールって、当然ですが人が作るので、守る側の立場を大なり小なり考えて制定すると思うのです。
ですが、守る側に寄りすぎると守るに値しない、ただの陳腐な文言でしかなくなってしまう気がします。
かといって、あまりに厳格過ぎてしまうと、拘束力が高まってしまい、自由を奪う枷となってしまいます。
人の活動を最低限の制約で、最大限のパフォーマンスが発揮できる状態にするには、ルールにどれくらい「人の血を通わせるか?」のさじ加減が、ものすごく重要だと感じています。
だから「血液量」と表現しましたm(__)m。
私は多分、甘い人間だと思うので、ものすごく陳腐な文言になってしまいがちです。そのあたりを指摘されると、ぐうの音も出ません( ̄▽ ̄;)グゥ。
経験としては、こんな機会は滅多にないので、学ぶことが多いですが、反対に自分の足りない部分と毎日向き合うので、修行のようです(笑)。
これを乗り越えた先には、どんな自分になっているのでしょうか?
…乗り越えた、とかって、嫌そうに聞こえます?もしかして(笑)。
そんなことはないですよ(*‘ω‘ *)。勉強大好き人間ですから~♪
ただ、周りの人達についていくには、努力以外にもいろいろ必要で、足りない頭をフル回転していると知恵熱出そうになりますね(*´з`)。
よし、やるぞ(੭ु´・ω・`)੭ु⁾⁾
ということで、今回の投稿は以上です。