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「自己設定目標」を疑ってみる。
最近の私の記事は、読んで下さる方に申し訳なく思うくらいに文字数にバラつきがあります(>_<)。
少ない記事は1,500文字程度で、多い記事は4,000文字(笑)。
ブレまくってて、スイマセ~ン‼(ノД`)・゜・。
この記事が「はじめまして」の方もいるかもしれませんが、こんなノリで365日以上の連続投稿者だったりします(;´・ω・)はい…。
コトの発端は、「(-"-)…一年も投稿してきているんだから、記事の質を上げなきゃ‼」という自らの意志なのですが、書いてみて痛感しました。
(;゚Д゚)毎回違うテーマで文字数そろえるとか無理っ‼
…連続投稿は出来ても「高い質の記事を書く」という、違う目標は3日も保てませんでした(笑)。
これはちょっと設定を間違えたかもしれない…( 一一)。
ということで、今回のテーマは「自己目標設定を疑え‼」といった内容で書いていこうと思います。
最後までお付き合いいただけると幸いです。
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目標は定めがないモノもある。
社会人ともなると課題発見能力を求められ、職務遂行能力を評価するという名目でKPIとかKFSとかKGIを定めるように言われる方もいるかもしれません。
確かに、目標を見据え、それに向かって進むことは、作業の無駄をなくし、合理的な判断をもって、自らの意志力を磨くことに適しているでしょう。
しかし、本来の目標やゴールというのは定性的であり、定量化した目標は、あくまでも自分で決めた枠組みでしかないことも多くあります。
例えばですが、「成人式」で考えてみましょう。
成人式は、年度内に満20歳となる人々を自治体などで祝福・激励する行事ですが、この行事をもって成人となるわけではありませんよね。
いわゆる「成人=大人」とは、年齢という定量化できる数値で判断できるものではなく、その人と接した相手が定性的に判断することです。
それに、多くの方が「成人に達した日」は誕生日であると思うでしょう。
名目上、成人であっても、精神的に未成年に近い方も実に多く、高齢者であっても子どものような考えしかできない人も少なくありません。
次は「note」を例に考えてみましょう。
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見えない目標にこだわりを持とう。
ここからは個人的な意見なので、共感できる・できないの意見が分かれると思いますが、「こんな意見もあるんだなぁ…」と思ってくださると助かります。
仮に「100日連続投稿を目指します‼」という方がいるとします。
その方の求めているものが「自己肯定感を上げる」や「自信をつける」といった目標の場合、「100日連続投稿」は、おそらく達成しても、「かりそめの満足感」しか得られないでしょう。
むしろ、思いの丈を素直に綴り、読んで下さった方からのあたたかなコメントを受け取ったケースの方が、満足度は高いと思います。
この場合、100日もかからないかもしれませんから、次の目標に時間を費やすことができそうですね。
また、「日々の学びのアウトプット」を目標にした結果、「100日連続投稿」することが目標になってしまい、学びでもアウトプットでもない記事をカウントに入れるのも、本人がどう思うかは分かりませんが、本末転倒な気がしてしまいます。
さらに、「100日連続投稿」を達成できても、どの程度の学びのアウトプットが出来たのかは、投稿日数以外に計ることが出来ません。
数値目標は大変に便利です。
ただ、「出来た気になってしまう」リスクもあるのです。
ぜひ、誰かに語るための数値目標ではなく、自分の心に誓う目標を掲げてほしいと思いますし、私も、そこは曲げることなく、日々を過ごすようにしています。
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あなたは、何を求めていますか?
それは、どんな目標を立てれば実現できそうですか?
誰にも評価できないものでも、自分の中で評価できれば、どんなゴールだっていいんですよ(^-^)。
…という、オッサンの戯言でしたm(__)m。
最後までお読みいただきありがとうございました。
今回の投稿は以上です。