ネクラだけどプラス思考という無限ループはエシカル消費なのか?
今回も、最初に定義付けを行いたいと思います。
「ネクラ」「プラス思考」「エシカル消費」、あなたは説明できますか?
…ちなみに、私は説明できないので引用します(笑)。
【ネクラ】
根っから性格が暗いこと。また、そのさまや、そういう人。
(デジタル大辞泉より)
【プラス思考】
何事においても、きっとうまくいくさ、何とかなるものだなどと良い方向に考えが向くこと。特に、悪い状況の中でも前向きに考えること。物事を肯定的にとらえる考え方。
(デジタル大辞泉より)
【エシカル消費】
消費者それぞれが各自にとっての社会的課題の解決を考慮したり、そうした課題に取り組む事業者を応援しながら消費活動を行うこと。
(消費者庁より)
ネクラとプラス思考は共生するのか?
そして、それらがなぜエシカル消費なのか?
最後までお付き合いいただけると幸いです。
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今回のネクラでプラス思考とは、私のことです(笑)。
メンタル系の投稿をする時に断定の言葉を使えないのも、明るい話にしようとおチャラけたつもりがマジメ路線の記事になってしまうのも、私の性格が卑屈でネクラでヘタレだからです(・ω・)。
ところで、ネクラの人には、ある特性があります。
それは、ネクラを見つける能力が高いということです(笑)。
類は友を呼ぶ…というワケではありませんが、対峙した相手がネアカかネクラかは、感覚的に分かると思います。
逆に、ネアカの人は見分けられないと思っていますが、もし「私はネアカだけど、ネアカかネクラのどちらかは見分けがつくと思う」ということでしたら、ネアカも類友なのだということです( ̄▽ ̄;)。
私はネクラな人を見分ける能力が高いと思います。
そして、例えネアカの人でも、心の片隅にあるネクラな部分を見つけてしまうことも多いです。
さて、ネクラな私が、ネクラな人を見つけたらすることがあります。
それは、プラス思考にリフレーミングすることです。
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ネクラはネクラを知る…|ω・)。
自分が言われたい言葉は、そのまま相手も言われたい言葉だったりします。
ですから、私はネクラにもかかわらず「前向きな人」という称号をいただいております。
このことから、冒頭に仮説立てた「ネクラとプラス思考は共生するのか?」の問いは、私に限ってなのかもしれませんが共生しますし、むしろネクラだからこそ、プラス思考になるのだと思うのです。
(;´・ω・)…表面上ですが(笑)。
しかし、このような表面上の取り繕ったような行為でも、誰かのプラス思考を呼び起こすことができたのなら、ネクラに市民権が発生すると同時に、自己肯定感が生じます。
つまり、ネクラな自分を受け容れ、ネクラな誰かにプラス思考を植え付ける使命感が生まれ、ネクラだからと言ってマイナス思考にならなくなる、ということです。
このサイクルが広まれば、自己肯定+他者承認の波も広がり、メンタル不調で苦しむ人々の減少に貢献できるのではないか?と思うのです。
「情けは人の為ならず」という言葉をご存知ですか?
他人にかける情けは、その人のためになるだけではなく、めぐりめぐって、やがて自分のためにもなる。
(ことわざを知る辞典より)
誰かにかけた言葉は、大きなうねりとなって、いつか自分に戻ってくるのです。
これこそ「エシカル消費」となる無限ループだという話でした。
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…こじつけですか?(笑)。
私の記事は、こじつけが多いと思います。
何ら確証のない感情論だと思うかもしれません。
ですが、ただ陰鬱に日々を過ごしたり、誰かをマイナス思考にしたりするよりマシだと思うのです。
そして、個人的には、このような詭弁であっても、言い続けることで形になるモノがきっとあると思うのですが、あなたも、こじつけとしか感じられないのでしょうか?
ということで、最後までお読みいただきありがとうございました。
今回の投稿は以上です。
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