外山滋比古『ユーモアのレッスン』を読みました。
本屋でフラフラ、テキトーに本をみることが好きです。
目当ての本以外に、偶然、良さような本に出合えるからです。
新書コーナーをフラフラして、『ユーモアのレッスン』を見つけました。
読み終わった後に思ったのは、フラフラ歩くことがないと、
この本に出合えなかったなってことです。
そのとき、以下のtweetを思い出しました。
動いていたら、ふと目に留まることが少なくなっています。
偶然を味方にしづらくなっています。偶然も味方につけるには、
あえて【多動】が必要だと気付きました。
『ユーモアのレッスン』
あらすじ
しゃれて気の利いたユーモアは、その場かぎりのものでなく、聞く者の記憶に長くとどまる。気まずい場の雰囲気をたちまち明るくし、ときに、厳しい追及をさらりと受け流すのにも役立つ。だが、ユーモアを発揮する側はもとより、それを感じとる側にも、洗練されたことばの感覚が必要である。本書は、思わず頬がゆるんでしまうエピソードをまじえながら、その効用に光を当てる。(BOOKデータベースより)
印象的なスタート
ユーモアの性質や定義からスタートするところがユニークでした。
様々な文献や著名人の言葉の引用から、その性質・定義を丁寧に
読み解いていきます。
ユーモアを発する側だけでなく、受け取る側の心理作用としてしているところが独特です。p8
笑い、喜劇というのものはピストルの弾丸のようなもの。
近いところではたいへんな威力を持っているけれども、かなしかな遠くまで行かないーというのです。p26
ユーモアは説明ではなく、創作であり、フィクションです。
そうゆう想像力を欠いていては、ユーモアを生むことは困難ですし、人のユーモアを解することもできないことになります。
センス・オブ・ユーモア(ユーモアの感覚)のセンスとは、不調和の調和を直観する感覚のことです。p38
友人と会話が楽しい思い出はありますが、何を話したのか
覚えていないことが多いです。
上記の引用を参考にして、「ピストル効果」とでもいえばいいのでしょうか。
「遠くまで行かない」というのは、「国境を超えない」や「時代を超えない」という意味を含まれいます。
一方で、「記憶に残らない」という意味もあるように思います。
笑い話はが伝わるときは、誰かの人柄を紹介するためで、
話自体が残るのは、落語くらいでしょう。
ユーモアとは
一定の知識や経験を共有した人同士で通じ、その場で消えてしまうような面白みを含んだ表現
だと、本書から整理しました。
圧倒的引用の多さ
本書では、古今東西から引用で、ユーモアを紹介しています。
ある程度教養がないと、ユーモアに気づけないのですね。
知っていると、笑いも増えるようです。
気づけると、笑いも増えるようです。
身の上相談(p74)
アメリカのラジオ番組で、ある女性の回答が評判であった。
あるとき、小学生の子どもが相談の電話をかけてきた。
「うちのママは毎日、毎日、
朝は早く起きなさい
よく手を洗いなさい
よく勉強しなさい
テレビをいつまでもみてはいけません
夜は早く寝なさい」
といって、うるさくてうるさくてしかたがありません。
ボク、そうしたらいいでしょうか。
それに回答者が答えた。
「朝は早く起きなさい
よく手を洗いなさい
よく勉強しなさい
テレビをいつまでもみてはいけません
夜は早く寝なさい
以上、サヨウナラ」
駄洒落(p104)
ビルへやってきた人がきく。
「〇〇はなん階(難解)ですか」
「4階(視界)がいいです。」
「エレベーターですね。」
「それは5階(誤解)です。」
他にも教養が必要な笑い話が紹介されていました。
ユーモアという言葉が日常で使いやすそうで、
あまりたくさん聞かないのは、「知的さ」を聞く側にも
求めているからでしょうか。教養の必要性を感じました。
本書の作者は『思考の整理学』も書いている方なので、
こちらもおすすめです。
最後まで読んでいただいた方、ありがとうございました。