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【本レビュー】100年前のベストセラー!『月と六ペンス』

1919年に出発され、当時空前の大ベストセラーになったそうです。
歴史という冬に耐え、名作と呼ばれる所以を知りました。
100年を耐える力を感じました。感想を綴ります。

あらすじ
その絵を描いたのは、知ってはならない秘密を知った罪深い男だ。

ロンドンでの安定した仕事、温かな家庭、そのすべてを捨て、一路パリへ旅立った男が挑んだこととは――。英文学の歴史的大ベストセラーの新訳。

あるパーティで出会った、冴えない男ストリックランド。ロンドンで、仕事、家庭と何不自由ない暮らしを送っていた彼がある日、忽然と行方をくらませたという。パリで再会した彼の口から真相を聞いたとき、私は耳を疑った。四十をすぎた男が、すべてを捨てて挑んだこととは――。ある天才画家の情熱の生涯を描き、正気と狂気が混在する人間の本質に迫る、歴史的大ベストセラーの新訳。

出典:Amazon

解像度が高い世界

同じ時間で同じ景色を見ていても、取得できる情報量には差があります。
不思議なことです。同じ景色をみていたら、同じものを見ている、聞いていると思い込みます。でも実際、見えているものは少しずつ違っています。

それは、解像度に差があるからです。

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ここでいう解像度とは、取得できる情報の度合いのことをいいます。
例えば、サッカーの試合を見ているとしましょう。サッカー経験者で試合をよく見る人であれば、1つ1つのプレーのうまい下手がある程度わかります。このプレーのここがよかったとか。逆に、ここが悪かったとか。

では、サッカー未経験が同じ試合を見たら、どうでしょう?
サッカー経験者ほど、プレーの良し悪しを判断できるでしょうか?おそらく、良し悪しの多くを判断できないでしょう。

サッカー経験者と未経験者には、取得できる情報に差があるから、起きる現象です。サッカー経験者は解像度が高く、サッカー未経験は解像度が低いといえます。このように経験や知識によって、見えているものが少しずつ違ってきます。

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では、日常を切り取って、解像度が高い状態を一時的に体験できるといったら、「うそっぽい」でしょうか?でも、『月と6ペンス』を読んで、僕は解像度が高い日常を覗いたように思えました。淡々としたストーリーにも関わらず、書き込み量が多い作品でした。

小説は基本的に文字だけで表現します。だから、日常では見えないものも文字として表現します。『月と6ペンス』では、キャラクター同士の阿吽の呼吸や、距離感、性格、経歴、心情などなど、文字で多くが語られていました。本当は見えないけど、見えていました。
すごい作家の目を通すと、こんなに鮮やかでグラデーションしている日常がみえるんだ!って感動しました。

そして、本作のキーパーソンである「冴えない男ストリックランド」がかなり変人だったので、余計に「日常」がくっきりとした輪郭を持っていて、「普通」であること自体に魅力を感じました。

もし、この本の帯をつけるなら「世界がよく見える本」ってつけたいです!

書き出される魅力

社会的に成功した人生を送った男が安定を捨て、描きたい欲に身を任せて、人生をやり直した物語です。変人で口が悪いのに、なぜか魅力を感じてしまう人──ストリックランドがキーパーソンです。

なぜ安定を捨てたのだろうというところから、心をつかまれ、
次第に、なぜ描きたいのだろうか、どのへ行くのだろうかとページをめくることになります。そして、解像度が高くと感じられるような文章が続きます。

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「まだご主人を愛しているんですか?」
「わかりません。とにかく、もどってきてほしいの。もどってきてくれたら、今回のことは水に流すつもりよ。なんといっても、結婚して十七年間も一緒にいるんだから。一時ののぼせだったって気がつくにきまっているもの。いまもどってくればすべて丸くおさまるし、だれにも知られずにすむわ」

『月と6ペンス』p59

本音と建前の折り合いを見せるセリフです。
当時の女性がおかれた立場と、17年もの時間の長さをさりげなく表現されていて、それでいて怒っている様子がわかります。ここだけ切り出しても、「わかりません~」としゃべっているのがストリックランドの妻であることもわかります。数行の中に読み取れる情報量が多い…

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「描かなくてはいけないんだ」また、ストリックランドはいった。
「かりにあなたにまったく才能がないとして、それでもすべてを捨てる価値があるんですか?ほかの仕事なら、多少出来が悪くてもかまわないでしょう。ほどほどにやっていれば、十分楽しく暮らしていけます。だけど、芸術家という職業はちがう」
「きみは大ばか者だな」ストリックランドはいった。
「おれは、かかなくてはいけない、といっているんだ。描かずにはいられないんだ。川に落ちれば、泳ぎのうまい下手は関係ない。岸に上がるか溺れるか、ふたつにひとつだ」

『月と6ペンス』P79

ストリックランドの使命感に似た情熱が伝わっていきます。最初は言葉少なく「描かなくてはいけないんだ」といいますが、最後の方で「川に溺れるか~」のように少しずつ言葉が増えているのがわかります。人に勘違いされやすい性質と、不器用な性格がわかります。
一方、質問をしている方は常識人です。一般論を唱えつつ、論理がわかっている人の話し方です。ある程度コミュニケーション力があり、厄介な役回りを与えられるタイプの典型です。

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「おまえは、どうしてそんなふうに考えるかなぁ。世界でもっとも貴重なものである美が、散歩の途中でふと拾う浜辺の石ころと同じようなものだと思うかい?美とは、芸術家が世界の混沌から魂を傷だらけにして作り出す素晴らしいなにか、常人がみたことがないなにかなんだ。それもそうして生み出された美は万人にわかるものじゃない。美を理解するには、芸術家と同じように魂を傷つけ、世界の混沌をみつめなくてはならない。たとえるなら、美とは、芸術家が鑑賞者たちに聴かせる歌のようなものだ。その歌を心で聴くには。知性と感受性と想像力がなくてはいけない」

『月と6ペンス』P120

ディルク・ストルーヴェというキャラクターのセリフです。「美」を説明したものですが、書き込み量がすさまじいです。まず、「石ころ」を例に出して、日常にあふれている何かとは別の存在であることを示します。これによって、美は特別であることが明示されます。

そして、「美とは、芸術家が世界の混沌から~」の部分では、美が生まれる瞬間を述べて、多くの犠牲が伴って生まれることがわかります。尊い理由は、芸術家が犠牲を伴って生み出しているからのようです。

一方で、「それもそうして生み出された美~」以降の文章で、美を理解するには、鑑賞者側にも優れた性質が必要で、人を選ぶことが書かれています。「美」の不安定さと高尚さがわかりますね。

生み出せれてから、美を理解するまでに、苦難が続き、その結果、特別なものであるようなことを述べてます、、どうやったらこのような文章を書けるのでしょうか、、

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「世界は残酷だ。なぜここにいるのか、どこへ向かっているのか、それを知る者はひとりもいない。僕たちは心から謙虚になって、静けさのもたらす美に目をむけなくてはならない。足音を忍ばして、人生をいきなければならないんだ。運命に目をつけられないように。そして、素朴で無知な人々に愛されるように努める。彼らの方が知識にかぶれた僕たちよりもずっと優れているんだから。口をつぐんで、片隅での暮らしに満足すべきだ。彼らのように身の程を知って、穏やかに生きるべきなんだ。それこそ、賢い生き方だ。」

『月と6ペンス』P223~P224

ストルーヴェのセリフです。脇役にこのセリフを言わせるのもすごいですね。特に、「運命に目をつけられないように。」という言葉が気に入っています。英語特有の言い回しにみえますが、擬人化しているようにも読めて、カッコイイです。

「彼らの方が知識にかぶれた僕たちよりもずっと優れているんだから。」の一文で、何に嫌悪しているのかうかがい知れます。頭でっかちになりがちな人々を嫌悪しています。嫌いという感情がちゃんと入っていて、人間味を感じます。嫌いなこと、苦手なことが思考や行動に現れるので、人間的だと思いました。

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『月と6ペンス』は、主要キャラクターから脇役まで、それぞれに美意識があって、正義と正義がぶつかる瞬間があります。価値観の違いに感情のギャップが生まれ、軋轢にかわります。しかし、そのぶつかった瞬間が人間らしくて、どんどん読み込んでしまいます。

ふだん考えられないような体験ができて、とても満足の作品です。名作を読むには意味がありそうです。普遍的な何かが必ず備わっていて、時代が変わっても、心を震わす力があるようです。

100年に出版させて、それが2023年の僕にも届いたこともすごいことで、本の力の偉大さを感じました。また少し時間が経ったら、読み返したい作品でした。

最後まで読んでいただいた方、ありがとうございました。

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