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#011_失われてはいけないという価値といっしょくたにメタファーになったことで、失われ得るナニカになってしまった生命。
自分そっくりの人形と並んでベンチに座っているところに、宇宙人がやってきてそれを見たときに、宇宙人はまさかそれが「似ているふたつのナニカ」だとは思いません。
世界の事象をどこでどう切り取って、どういう意味を与えるかは、完全に自由で、言い換えると恣意的で、それゆえに認識する主体の都合によります。
認識する主体の都合は、言い換えると「身体性」です。
なにがなんでも失われてはいけない生命、生命を認識するためのメタファーである身体。失われてはいけないという価値といっしょくたにメタファーになったことで、失われ得るナニカになってしまった生命。
人間をを制約するこの機能を「身体性」といいます。