この季節のすごし方 20/8/6
2020年の夏がやってきました。
全国的に猛暑日となった昨日。
今日も東京はよく照ります。
しばらく暑さは続きそうです。
この季節においしいのは。。そう、冷たいものですね。
かき氷にアイスクリーム、ところてんに冷ややっこ、そうめんに冷や麦に、ラムネにビール!
体温を下げて、汗がすっと引く冷たいものは、この時期こそ楽しめるもの。
日本で一番大変な時期、梅雨が明けて、しばし雲のない解放感を味覚とともに味わいたいものです。
でも、そう、もう賢明な皆様はお分かりのとおり、冷たいものばかり食べると、どうしても胃腸が疲れてしまいます。
先日、ある本を読んでいたら、わたしたち人間の消化管で、外界にふれる広さは400平米とのこと。
ちなみに肺は80平米、逆に表面積、つまり皮膚にいたっては2平米しかないそうです。
ん?
消化管で外に触れる部分?
何を言ってるのかわからない?
はい、ゆっくり説明をしましょう。
まず、わたしたち、人間を含め、動物と呼ばれる生命体が必ず持っているものはなんでしょう。
もちろん、いろいろな答えがあると思いますが、その一つに、「口と肛門」があります。
そう、わたしたち動物とは、口から栄養を取り入れて、不要物を肛門から排出します。
これが一緒になっている動物もいくつかありますが、かならず、栄養を取り入れ、消化、吸収、代謝ししてエネルギーとして使って、排出しているのが、わたしたち動物です。
先の「この季節のすごし方」でも書きましたが、こうして目が文字を追えるのも、それを理解することができるのも、すべては食べたものがエネルギーとなって巡っているから・・ですね。
こうした口から肛門までの消化管は、身体の内側に伸びてはいますが、実は管の内側は、わたしたちにとっては外側です。
そもそも、海の中の単細胞から進歩したわたしたち、その単細胞が他の細胞の栄養を取り込み、それを排出するのに、輪っかのようのように、チューブのようになりました。
今のわたしたしも、その原型は残したままです。口から食べたものは、お尻から出ていく。わたしたちは一本のチューブであり、その内壁は、外界に接し、わたしたちとは「違う」ものを「外界」から取り入れる大切な境界面です。
皮膚も、いつも外界と接していますが、この広さは、1メートル×2メートル。
ここは簡単ですね。およそそのようなものだと想像はできます。
牛の皮とか、トラの毛皮とか、たまにみかけることがありますが、人間の皮だって、そんなに広いものではありません。
それに比べると、非常に広いのが、肺が外界と接している面積。肺は空気から酸素を取り入れて、血中に溶け込ませてくれます。
くどいようですが、わたしたちが、こうして動けるのは、酸素がちゃんとエネルギーを燃やしてくれているからですね。
そんな大切な酸素を取り込む肺は、さすがに、体積のわりに表面積が広くできています。その広さが25メートル×3.2メートル。結構広いですね。25メートルプールが1コース+αとれる計算です。(国際ルールでは、1コースは幅2.5メートル)
しかし、わたしたちの消化器菅の面積といったら!
400平米!
わたしたちの荻窪の教室(荻窪の文化堂ビル1フロア=およそ300平米)よりも広い。
25メートル×16メートル。
25メートルプールに、6コースとちょっと、とれる計算になります。
何でそんなに広いのか。
そう、それは、消化とは、それだけ大変なで、重要なことであるということの証明であります。
わたしたちはそれだけ、必死になって食べて来た。
人間は、地球上で一番の雑食。
なんでも食べて、それをエネルギーに今までやってきました。
それぞれの食べ物は、そのものが毒であったり、時間が経つと毒になったり、食べあさせて毒になったりします。
例えば、ビールに含まれるアルコール。
ビールと一緒に頂くラー油を付けた餃子。
アルコールも、唐辛子も、ほんの少しでもそのまま血中に取り入れられたら、わたしたちは、ショックで亡くなってしまいます。
消化器が、ちゃんとそれぞれ、無害にしてくれて、栄養にしてくれています。
それぞれの食べ物が、それぞれ消化され、それぞれ吸収されて、代謝されていく。
そして、ちゃんと排出される。
これができて、はじめてわたしたちは、「すっきり」、健康感を得ることができます。このどこかが欠けていても、わたしたちとっては大きな苦痛です。
消化器、胃腸の内壁は、粘膜です。柔らかくて、温かくて、湿っています。
これをできるだけ、やさしく保ってあげたい。その状態に保てれば、わたしたちはバテない。
冷たいものは、暑いときに少しはいいですが、これがいつもいつも通り過ぎるていくこと、粘膜は冷たく、固くなってしまうでしょう。
ビールはどうでしょう。あるいは、そのほかのおいしい冷たい飲み物はどうでしょうか。
自分の内側にあるけど、外界と接する粘膜。消化管。
そのことを思い、想像して、感じ取ろうとすると、おのずと今日何を食べたらよいのか、何に気を付けないといけないのかがよく分かります。
このようにして、消化器がしっかり働いてわたしたちは、アーユルヴェーダでいうオージャス、スワミ・シバナンダの言う「精妙なエネルギー」を得て、感じることができます。
ヨーガやアーユルヴェーダに触れていない方でも、よくご存じのエネルギーです。
それは、わたしたちを集中させ、自分の感情を観察させ、周囲と調和させて、ものごとを完成に、成功に導く力です。
消化にエネルギーを取られすぎていて、あるいは、胃腸が疲れていては、こうしたエネルギーは得られません。
二日酔いのとき、あるいは、食欲不振のとき、もしくは下痢や便秘に苦しんでいるときを想像してみるとよくわかります。
広く言えば、この世のすべての価値あることは、こうしたいわゆる、「筋肉を動かす」といったレベルのエネルギーではなく、より精妙な、”Subtle” なエネルギーによって作られています。
こうしたエネルギーが、人を栄えさせ、楽しませて、周囲と協調させて、平和を維持します。
こう考えると、胃腸は、わたしたち一人の持ち物のようでありながら、実は、他ともつながっている大切なものです。
ここが炎症を起こしたりしては、なかなか周囲とうまくやっていくのは難しい。胃炎、大腸炎。神経性のものが多い。
ここを快適に、よい状況に保つということは、食べるものを選ぶということにもつながります。粘膜を傷つけず、それぞれの臓器を酷使せず、腸内にあまり長く滞在しない食べ物を選ぶことが大切です。
うれしいのは、そのような食べ物は、わたしたちの地球の環境も美しく保つということです。資源をあまり使いすぎず、他の生命を大切にして、自分のあるべき振る舞いをわからせてくれます。
さらに言えば、この胃腸を快適に保つことで、(あたりまえの話ではありますが)免疫も高いレベルで保たれます。胃腸が疲れると、免疫も疲れ、外敵からの脅威にさらされやすくなります。
この、わたしたちの身体の内側の、外側。消化管。
外に面した内側とは、まるでわたしたちの心のようです。
ここをよく保つことで、よい夏を過ごしてまいりましょう。
朝、晩、白湯を飲む。
消化によいものを適量いただく。
冷たいものは適量をおいしくいただく。
そして、適度に運動をする。
わたしたちを、一本の筒。消化管と考えて、その消化管をどう動かすと、つまりなく、いつもきれいでいられるか。
これをよく実現したものがヨーガだと思います。
この消化管の内壁、これが裏返ったものが皮膚と言われます。ここがきれいであれば、皮膚もきれいでいられる。
長くなりました。
この季節をきれいに、元気に過ごす参考になれば幸いです。
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