シャングリラへゆく㉓聖山 梅里雪山日中登山隊遭難事故の現地に伝わる話★最終章
雲南の香りに魅せられて僕は旅をした
冒険家が探し求めたシャングリラに想いをよせ
奥へ奥へ雲南省の秘境を旅した記録
①から読めばより深く楽しめます
シリーズ「チベットへゆく」の第二部
シャングリラへゆく物語
シリーズ シャングリラへゆく 最後の章です
長いあいだお付き合いありがとうございました。
最後はこの話を書いて終わりにします
この地にまつわる伝説です
おそらく日本のNETや本で
書かれてないと思います
探して資料にしようと見たけど
見当たらなかったです
現地のチベット人に伝わる中国では
有名になった話
最後に戻ってきた麗江で、僕が聞いた話です
雲南省とチベット自治区にかけて
梅里雪山という連峰があります
メイリーシュエシャンと呼ばれ最も高い山頂で6740m
位置関係の地図です
この山の名の梅里雪山と聞いて
ピンときた日本人もいると思います
なぜなら
17人の隊員全員が死亡するという
登山史上最悪の遭難事故
で有名になり日本にも衝撃が広がった山です
遭難事故は1991年1月3日~4日にかけて
第2次学術登山隊が初頂上を目指し
日本人登山隊11名と中国人登山隊6名の
17名が命を落としました
1998年になりようやく遺体、遺品が
一部発見されます
発見された、ほとんどの遺体は寝袋の中に
入っていて寝ている間に雪崩に直撃したと
言われています
世界にはまだ処女峰と呼ばれる山が
いくつか存在します
まだ人類が1度も頂上に立っていない山です
数少ない一つに梅里雪山があるのです
梅里雪山は7つある連峰すべての頂上に
未だかつて人類は到達していません
1、カワクボ(6,740m)
2、メツモ (6,054m)
3、ジャワリンガ(5,470m)
4、スグドン(6,379m)
5、マーベンゼンデウーショ(6,000m)
6、チョタマ(6,509m)
7、コワテニー(6,108m)
なぜ到達する事が出来ていないのか?
過去に何度も山頂を目指し登山隊は挑戦しました
しかし全て失敗に終わっています
そして1991年の遭難事故を最後に
登山は停止され
2000年に登山禁止となりました
いまだ山頂を人類は誰一人として
みていません
この山、梅里雪山はチベットにおける
信仰の強い聖山です
チベットにある
もう一つ有名な聖山がチベット奥地にある
カイラス山です
ここは登山許可が1度も降りていません
チベット信仰の強い山では
山の周りを巡礼する巡礼道があり
チベット信者が多く巡礼します
今でもそうです
巡礼には周期があり
数年に1度の周期で巡礼者が増えます
未だかつて人類が登ってない山に1番に登る事は
世界の登山家の夢なのかもしれませんが・・・
登山で山を汚す行為は
地元の反発を強くうけてきました
信仰を持つ地元の人からしたら
勝手に外国から信仰を持たない人が現れ
登山家の欲の為に山を汚す
部外者の信仰も持たない
外人により聖地を踏みつける登山を
阻止しようとする動きも同時に起きています
地元のチベット民族は、梅里雪山に
登る事を大反対してきました
今でも梅里雪山が見える近くの村までは
観光で行く事ができますが
晴れて山頂を見渡せる事が
非常に珍しいと言われています
この地に住むチベット信者からみたら
神に対する天罰
聖なる山を汚す者
信者でない部外者の外国の登山隊は
快く受け入れてもらえていません
日本の登山隊はある意味嫌われていました
そんな背景があり
過去に何度か山頂にアタックを
行いましたが天候に阻まれ
不思議な事に全て失敗に終わっています
登山はスポーツ
登山は人類の限界を確かめる行動
人類の挑戦としての側面もあり
決して遊びではできません
命をかけ人生をかけた行動ですが、
ですが…
聖山のふもとの
チベット信仰の前では
それもただの
人間のエゴ
神の頭を踏む行為
信仰を無視した行為
スポーツ以前の問題
どれだけ正当化してもです
多くの犠牲者が出て命を落としている為
彼らも本意ではありませんし
正直、日本人には言いにくい事もあります。
日本人グループでもなく、現地の知り合いと
仲良くしてくれる麗江の仲間もいるから
僕に彼らは教えてくれました
悪いのは信仰心を持たず好奇心で登るからだと
とはいえ命を落とした17名に対しては
今でも麓の村では
お経を読んで線香を灯して供養している
チベット民族がいます
中国人も日本人もなくなっています
現地のチベット人は
この聖山を登山する事を
何度も 何度も止めた
最後の最後まで
何度も 何度も止めていた
何度も・・・
しかし
話を聞かないのは登山隊だったと教えてくれた
この遭難は
仏が人を近づけるのを嫌った為だと
現地の中では語り継がれていました
この山には
1000年以上前から信仰されてきた歴史があり
他にも古い伝承が幾つかあります
僕は麗江でこの事に詳しい人から
この遭難事故について
一つの面白い話を聞きました
遭難する最後のベースキャンプに入る前の事
最後のベースキャンプはC3で
遭難事故は、その付近で起きました
日本人を含む登山隊が1つ手前にある
C2ベースキャンプにいた時の話として
教えてくれました
日本人が夜、寝ているとテントの外に多くの
何十人もの足音が ザザッ ザザッ と近づき
歩み寄る音が聞こえた
足音はテントの周りを取り囲む
寝ていた日本人はチベット人が嫌がらせで
また阻止する為に来たのかと思い
外にでるが誰もいなかった
気のせいだった
そんな現象が何日か続いた
ベースキャンプに同行していた現地の人が
登山隊から夜誰か来たか尋ねられたが
こんな場所に夜、人が来るわけがない
確かにそうだ
夜にこんな場所に人が来るわけもない
村は遥か下だ
別の日、ベースキャンプを出発する朝
日本隊の中一人が
雲から姿を見せる山頂の方を見て
語ったと言っていた
現地のチベット人の中で言い伝えられている話
その後、遭難事故にあい
日本人11名を含む17人は帰らぬ人となる
チベット巡礼者は聖山を長い日数をかけて
1周の巡礼旅をする
その旅の途中で命を落とす信者もいる
その時、悲しむのではない
巡礼中に命を落とした巡礼者は、
仏の世界に ゆくのだと・・・と
教えてくれた
それは悲しい事ではない
巡礼を志した者の魂は救われるのだと
魂は シャングリラへ ゆく
遭難した日本人隊のご冥福をお祈りします
彼らは
シャングリらを見た数少ない人類である
世界には まだ未開の地が存在しています
今の時代に そんな場所はないと
思われているかもしれませんが
チベットには存在しています
ラスト フロンティア
まだ人類が未だ かつて見た事のない世界
そこは信仰心を持たない人は誰一人として
受け付けません
仏が住む世界は
好奇心だけでは辿り着けないのです
だから人は
シャングリラと呼ぶのです
おわり
最後まで 本当に ありがとうございました
スキをくれた皆さんありがとうございました
モチベーションUPになり記事を書いてこれました
また次の作品でお会いしましょう!
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