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聖地巡礼記 チベットへゆく①

チベット(西蔵)へ聖地巡礼の旅

仏教は長い歴史において
実は今大きな転換期をむかえている

仏教史において後世語り継がれるであろう
時代を僕らは生きている
そして歴史の目撃者となる

仏教とは何の為に存在するのだろうか?

2019年10月
僕は上海からチベットの拉薩(ラサ)に
48時間かけ列車で向かっていた

上海から24時間後に
チベットの玄関口にあたる
西寧で車両には酸素ボンベが完備され
気圧調整された高山鉄道に乗り換える

そこから拉薩まで残りの24時間
青海鉄道の旅が始まる

険しい山を超えチベット高原を走る
平均海抜は4000mを超え
天空の列車と呼ばれてる

窓の外には
刻一刻と変わる絶景が続く

何もない厳しい大高原の真ん中を
列車は何時間も進む

大パノラマの車窓に息をのみながら
この地が特別で神秘的な地と
思っている僕は胸の高鳴りを
感じながら
チベットについて考えていた


チベットはかつて仏教の上になり立つ
仏教国だった

インドよりチベットに受け継がれた仏教は

チベットの地で
ニンマ派、カギュ派、サキャ派、ゲルク派
4宗派に別れ存続している
土着信仰のボン教を入れると
大きく5つに区別される

宗派を超え頂点で指導するのが
ダライ・ラマ法王である


仏教は
今からおよそ2500年前に現在のインドで
ゴータマ・シッダッタ(釈迦)が説いた教え

当時のインドではバラモン教が主流にあり
それに属さない沙門と呼ばれる修行者がいて
ゴータマ・シッダッタ(釈迦)は
29歳で出家し沙門として日々修行を積み
36歳で悟りを得てから教えを説き
80歳まで生き入滅した

釈迦の教えは現代では形をかえている
その為 原始仏教とカテゴライズされてる

仏教は長い歴史の中で分派し変化していく

釈迦の説いた原始仏教とは
バラモン教にある輪廻思想が根底にあり
輪廻からの解脱を目的とした教えが中心にある

生きる事は苦しみである
人に生まれ変わる事は苦しみの連鎖


究極は輪廻の輪から抜ける事

修行により解脱を目指す
いわゆる覚醒し悟りを得る事を意味する

釈迦の死後、
自我を救うより大衆を救うべきと時代背景が
変わっていき信者を増やす為にも大衆を巻き込み
進化する事を迫られていく中で生まれたのが
日本にも伝わり僕らに影響を与えた
大乗仏教(だいじょうぶっきょう)

仏教は大きく2つに分かれる

上座部仏教(原始仏教の流れを残す)
大乗仏教(大衆の救済を主)

東南アジアに広がった上座部仏教と
中国、チベット、韓国、日本へと広がる大乗仏教

この2つは別々の進化を遂げていく

また時代で色んな宗派が枝分かれする
そこに仏教の面白さがある


聖地巡礼記 チベットへゆく 
では

チベット仏教に興味を持ち
旅を通じて ふれて体験した事を
歴史的な観点も踏まえながら
記事にしたいと考えてます

僕は特に信仰してる宗教はないけれど
チベット仏教の歴史を知るにつれ
不思議で面白いと思いました



いくつもの旅を通じ仏教思想に触れるにつれ
僕は一つの疑問を抱く

仏教とは何の為に存在するのだろうか?

その問いを探す旅でもあった



そして
現在の法王ダライ・ラマ十四世へと繋がる話

仏教を知らない人や
信仰というワードに変なイメージを持つ人
宗教に興味をもってない人に向けて

究極の魂を求め
覚醒に魅了された僧達の物語

死生観、信仰、輪廻転生
不思議で面白い話を
僕が旅して経験した事をから
紐解いてみたい

②へ続く


歴史本や仏教教科書的なものではありません 
あくまで旅行や中国で見聞きした話を中心に
個人的な見解で書いた記事になりますので
その点をご理解いただきヨロシクお願いします


↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓空海について書いた記事です
空海が手にした密教という宇宙


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