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天台宗開祖 最澄が修行した天台山

こんにちはkindle作家のけんいちです。

今回は、最澄ゆかりの地のお話です。
場所は中国の浙江省にある天台山です。

そう、天台宗の名前の元になった山です。

ここ天台山には 国清寺 という天台宗の総本山があります。
隋(ずい)の時代に建てられたのが始まりです。
天台教学の大成者の僧 智顗(ちぎ)が
天台大師と呼ばれて天台宗が生まれています。

妙法蓮華経(法華経)を根本仏典とするので
天台法華宗(てんだいほっけしゅう)とも呼ばれます

そしてここは、滋賀県にある比叡山延暦寺の
伝教大師 最澄(さいちょう)が804年に
遣唐使で学びにきた寺です。

最澄(さいちょう)767年~822年
比叡山延暦寺を建てて天台宗を開いた僧です。

最澄

その最澄がやってきた寺に行ってきました。
そのお話を書きたいと思います。

場所を確認しましょう。
上海から新幹線(高速鉄道)で南へ3時間の位置。
台州という地域です。

浙江省地図 青いポイントの場所です
台州にある 天台山地図 

天台山という山一帯が(緑の部分)天台宗の総本山です。
この中に寺や施設や滝やらが沢山点在しています。

新幹線にのり上海から3時間で到着。快適であっという間でした。

駅からタクシーで20分ほどで天台山の入り口まで行きます。
ここから歩いて山を登ります。

ゲート

のどかな風景。
ここの寺は基本自給自足で畑で農業をして
食べる物を自分たちでつくります。

入口付近まで行くと看板がありました。山の全体地図です。

左下に日本語が書いています。
今回の旅の全般的に日本語表記をよくみかけました。
中国の観光地では珍しい日本語表記です。

ここには古い寺で 国清寺 があります。
そしてこの天台山には 何個かの古い仏塔もたっています

国清寺のこの狛犬が実は国宝です。北京の紫禁城から送られた品です

まず国清寺のエピソードとしては
少林寺の映画で撮影された寺です。
わかかれしリーリーチェン(ジェットリー)が主演

当時はまだ少林寺の総本山の寺が綺麗に整備されていない状態で撮影するには適していないと判断されて、この寺が選ばれたようです。

上は撮影当時の様子です。中国のネットサイトより

ここで映画撮影が行われたロケ地としても有名なのです。
山の斜面にそって寺が配置されて、階段をのぼり上に上に上がります。

塔の頂上部分が完成していないの分かりますか?
実はこれにはエピソードがあります。

タクシーの運転手に教えてもらいました。

国清寺よりタクシーで山を登り20分ほどの地点で降りて
山の斜面に細い道がありました。
運転手にこの奥に寺があるからと言われ
タクシーはここで待つので僕は中に入ります。

山道を登り15分ほど歩くとお寺がでてきました。
環境客がほとんどいない寺です
入口が狭く整備されていない感じ
でも昔ながらのままという感じでしょうか?

本当にここに辿り着くには道をしらないと来れないです。
看板もあるのかないのか?
国清寺は多くの環境客がいましたが
ここは数人でした。

そしてお寺の中に入ると運転手から聞いたモノが

それは塔の頂上部がここに祭られています。

なぜここにあるかというと、
タクシーの運転手から聞いた話では

神様が塔を夜作り朝までに完成させる予定が
時間が足りなく朝を迎えて塔の頂上部は
ここに残したという話が残っていました。

その為、塔の頂上部は塔に建設されずに
この寺に納められています。

さらに入口の手前には日本の天台宗からの
贈り物も置いていました。

ここは
智者塔院 というお寺です。

まったく知られていませんが、日本からの贈り物が
あることに驚きました。

タクシーの運転手にきくと
最澄の時代にあった寺なので
きっとここにも最澄が訪れているとのことです

当時は今のように道が整備されていませんから
山道をひたすら歩き登ってここまで
やってきたことでしょう。

国清寺から智者塔院まで歩いて登ると
そこそこ時間かかると思いました。

でも どこか山の中の風景が日本らしく
懐かしい景色にも思えます。
ここで今から1200年ほど前に最澄が修行していたと
思うと、こんな遠いところまで来たんだな~と
思います。

その同じ遣唐使船は4隻あり2隻は遭難しています。
運よく2隻だけ中国(当時は唐)に辿り着きます。
最澄が乗る船と、助かった船には、なんと空海が乗っていたのです。

最澄と空海が乗る船だけは遭難せず、辿り着きます。
船が漂流し辿り着いた場所は全然ちがい、
空海が乗る船は、福建省まで流されます。

最澄は浙江省の天台山に法華経を学びにきました。
空海は長安まで行き密教を学びに行きました。
まだこのころの空海は沙門で無名で留学生です。

最澄は国家事業として天皇陛下に選ばれて
遣唐使船に乗りVIP待遇でやってきました。
二人の待遇や条件がまるで違います。

日本に無事に戻れた二人は
最澄は比叡山に戻り天台宗(法華経)を開きます。
空海は高野山に真言宗(密教)を開きます。
その後の二人の活躍は歴史の教科書に載る通りです。

ある意味、当時のこの二人は
スーパーエリートの日本人であり
超頭がいい人材です。

仏教を学びたいという熱意と情熱が
二人を唐の時代に引き合わせて混じりました。
日本の歴史は彼らの二人の活躍で大きく変わります

政治に大きな影響を与えていくからです。

ちなみに、最澄は天台山の茶葉と茶種を持ち帰り、比叡山の日吉神社で日本最初の茶園「日吉茶園」を作ったと言われているんです。

その後、僕は隣町の臨海 という町に高速鉄道で移動しました。
そこで宿を取り観光するためです。
この臨海も最澄とゆかりのある街で龍興寺というお寺があり
日本茶道の発祥地とされてます。

国清寺にある最澄の石碑

続く

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